ちゃおチャオブログ

日々の連続

8.15.(水・晴れ)終戦記念日、陛下のお言葉。2歳児、奇跡の生還。

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平成天皇最後の全国慰霊祭が武道館で行われる。平成になって30回目のお言葉。11歳で終戦を迎え、日光仮御用邸から焼け野原の東京を通り抜け、小金井公園の仮御用邸までやってきた。11歳の少年の目には、東京の惨状は強烈に焼き付いたに違いない。
爾来平和の希求と国民の安寧に心を砕いてきた。陛下の日本人として決して忘れてはならない4つの忌日のお言葉。
・6月23日、沖縄戦終結
・8月6日、広島原爆
・8月9日、長崎原爆
・8月15日、終戦の日
平成天皇として、後残り半年。穏やかな天皇皇后両陛下が表舞台から去って行くのに多くの国民は淋しい思いをするだろう。

周防大島での2歳の子供。行方不明になってから3日目の今日、奇跡的に助け出される。68時間、2歳の子供が何も食べずに森の中を彷徨い、救出された。神と仏の加護があったに違いない。何はともあれ、無事の生還を喜びたい。
この生還劇で一躍男を上げたのは大分日出の尾畠さん、78歳。彼こそ生き仏。現世に生きる仏のような人だ。国民年金生活者ではあるが、ボランティア活動で、各地を回っている。今まで生かされてきた社会へのお返しと言う。名誉も地位も金銭も求めない。彼こそ町の聖人だ。こうした奇特な日本人がいるということに、感謝したい。薄汚れた自分が恥ずかしくなる。

しかし、今回の事件では幾つか気になる点もある。捜索隊が3日間もかけてどこを捜索してたかという点。尾畠さんが捜索開始後僅か1時間もかからないで、児童を発見したが、今まで捜索隊は何をしていたかという点。捜査の指揮官が悪かったに違いない。限られた同じような場所をぐるぐる回って、発見に至らない。
探索、という言葉があるが、探索は、先ずは広く全般に速やかに、全体を把握することである。子供の足で、山も島の里山で高くはない。先ずは最初に沢筋、尾根筋を真っすぐ、稜線まで行かなかったのか。最初から溜池とかトンネルとか、窪地を丹念に探していたが、これではまさしく死体発見の捜索だ。今回は幸いに尾畠さんの助けで、救命されたが、もしも彼がいなくて、従来通りの捜索をしていたら、死んでいたかも知れない。県警は捜索方法に関し、大いに反省すべきだ。

良く分からないのは尾畠さんが独身であるらしいとのこと。自宅には母親の遺影が掲げられていたが、家族はいないようだ。これだけ心の清い、聖者のような人、世の中の女性は見る目がなかったのか。彼を78歳になるまでほっといとは!今からでも遅くないだろう。誰が身近で最後まで遂げる女性は現れないか・・。

それとこの家族。母親と子供4人で、母の実家へ遊びに来たようだが、父親の姿が見えない。もしも離婚家族で女手一つで4人の子供を育てるのは大変なことだ。・・離婚家族で無ければ良いのだが・・。


お盆に付き夜高知の酒空海を飲む。土佐沖の海中深層水で造られた酒。室戸岬最御崎寺空海を思い起こし、飲む。


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