ちゃおチャオブログ

日々の連続

イギリスの3日間(19)ベンハーの時代。

このヒエログリフのどこかにエジプト「死者の書」があるかも知れない・・。
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馬の石像彫刻。首輪も精巧に造られている。
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ここは又ギリシャ風の神殿だ。グレコーローマンーエジプトは、当時殆ど一体だったのか・・。
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ああ、これは見事な古代のロダンの考える人だ。エジプトーギリシャ時代にこのようなフォルムの像が造られていたとは! 以前、どこかでで見たような記憶はあるが・・。
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ああ、次はレリーフの間だ。
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先週の月曜日、8月20日に妻が急逝し、22日葬儀、と慌ただしい1週間が過ぎた。一昨日初七日も終わり、今日から漸くこのブログも再開できるようになった。68歳、早すぎる死だったが、それも本人の宿命として受け入れなければならない。

さて、ここ大英博物館に展示されているヒエログリフ象形文字の中には古代エジプトの「死者の書」の記載があるかも知れないが、残念ながら専門家以外は誰も読むことは出来ない。聞いたところによれば、この死者の書は人が死んだ後の黄泉の国、冥界への道しるべが書かれていて、人は死後この戒門、戒壇を通り抜け、天国へ行きつくと言われる。妻も今頃はどの辺を歩いているだろうか・・。

チャールトンヘストン主演の映画ベンハーは大ヒットとなり、世界中で多くの人が見たが、この映画の時代背景は確かローマ帝国時代だった。古代エジプトコーナー、石棺やスカラベ、ファラオ像が展示されている部屋の直ぐ隣には、このベンハーに登場したような騎馬戦車のレリーフが数多く展示されている。

ここは一体まだエジプトの延長なのか、既にローマ時代に入ったのか、近くに添乗員もおらず、聞くこともできないが、地中海という海を隔てていても、エジプト末期とローマ初期は、殆ど混然とした一体化が進んでいて、アレクサンドリアクレオパトラ女王は紀元直前の生まれで、シーザーの愛人、そのシーザーの死後は次の皇帝、アントニウスと結ばれたが、ローマ―エジプトはそれ程に一体化していた。だからこの騎馬戦のレリーフがローマ時代のものか、エジプト末期のものかは、どちらであっても同じようなことかも知れない。

驚嘆すべきは、既に紀元前の時代からこうした機動戦車のような二輪戦車を持っていて、戦場を縦横無尽に動き回り、戦いをしていたということだ。この時代の日本はまだ弥生に入る以前の縄文時代だ。環濠集落で、精々槍を投げ合ったりしている時代で、こうした処に戦車隊が大挙押し寄せてきたら、日本の集落など一たまりもないだろう。島国であったのが幸いした。

この躍動的なレリーフを見ていると、今にも壁面から歓声や怒涛、粉塵等が生々しく呼び出されてくるようだ。全くリアルテイの高い迫力あるレリーフだ。



素晴らしい騎馬戦。
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以前、ベンハーの映画で見た騎馬戦車と全く同じだ。
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実に臨場感溢れるレリーフ。高い芸術性に感動する。
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どこにあったものか、英国は何でもかでも掠め取ってきた。
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同行者も大いに感激している模様だ。
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