ちゃおチャオブログ

日々の連続

イギリスの3日間(21)大英博物館内ミイラ館。

ここ大英博物館2階にはエジプト中のミイラが集まった感がある。
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棺も立派に装飾されている。これが今から3000年も4000年も前の事とは!
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どんな偉大な大だったのだろうか・・
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幾つかの副葬品も出土している。・・これは豚のミニチュアか??
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従者、陪臣、親族なのか・・
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ここ大英博物館の奥まった2階にあるミイラ館は、ミイラの一大センターになっている。クフ王を初めとするギザのピラミッド地帯は、大方盗掘にあっていて、今更ピラミッド内から貴重な考古品が出土するということはないだろう。ここに展示されている数多くのミイラや古物は、ナイル川西岸にある王家の谷から出土したものに違いない。ナイル川を挟んでこの東側にはルクソールの遺跡があり、カルナックの神殿もある。名探偵ポアロ、即ちアガサクリスティーオリエント急行殺人事件の次に書いたサスペンス「そして誰もいなくなった」の舞台となった場所だ。

太陽は東から上がり、昼間、ナイルの上空を横切って、王家の谷に沈んでいく。太陽神ラーが消えた後は闇の世界、冥界オシリスの支配する世界だ。仏教でも太陽の沈む方向は西方浄土になっているが、ここ古代エジプトでも陽の沈む所は、黄泉の国。人間界の王者が収まる場所に相応しい。嘗てこの場所は禁断の地で、禍々しい場所だった。人々にとって、墓荒らしは災いをもたらすものであり、禁を犯した者には災厄が降りかかる。英国人がやってくる18世紀までの人々にはそう信じられていた。しかし近代的合理主義の考えの元にやって来た英国人にとっては、そんな迷信等どうでもよく、数多の王墓が暴かれることとなった。

この大英博物館のミイラ館には数えきれない程の数のミイラが展示されている。今でもエジプトはコモンウエルスのメンバー国に名を連ねているのかどうかは知らないが、前世期までは英国の植民地だった。英国人は自由に発掘し、発見した遺物を自由に自国に持ち帰った。その集積が今目の前にある大量の遺跡物だ。植民地支配は非難されるべきかも知れないが、英国がエジプトを植民地としていた結果、貴重な遺跡物が散逸せずに、ここにこうして一堂に見ることができる。学者、研究者にとっては大変にありがたいことだ。今頃、早稲田の吉村作治先生は、どこを舞台にどんな発掘調査をしているのだろうか・・。これ等のミイラを見ていて、ふと思った。



ああ、骸骨まで展示されている。
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死ねばもろとも。王者であれ貧者であれ、皆骨になる。
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これは何だろう・・。霊魂とも思えないが・・。
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王女、女王のミイラだ。どこかにネフェルティティもいるかも知れない・・
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ミイラ像が際限なく続く・・。
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