一旦大英博物館の外に出て、外観を撮影することにする。
博物館の外の街並み。高級アパートが見える。
博物館はギリシャ・ローマ風の壮麗な建物だ。
こうした装飾も古典的だ。
1枚記念写真を撮って館内に戻る。
日本の天皇家は万世一系、高祖神武天皇以来第125代平成天皇まで2600有余年、連綿と引き継がれてきているが、イギリス王朝はその系図を何度見たり聞いたりしてもこんがらがって良く理解できないし、記憶にも残らない。今分かっていることは現エリザベス女王は第2次対戦後すぐの戴冠で、既に在位60年を越えているが、世界中から尊敬されている素晴らしい女王陛下ということ。その何代か前の女帝にヴィクトリア女王がいて、この時英国の対外的力は最大に高まった。英国王室に関しての知識はそんな程度で、今この博物館に展示されているイギリス古代、中世の遺跡品を見ていても、歴史的背景は殆ど浮かんでこない。
明治の初め、岩倉具視の使節団がロンドンにやって来た時には、既にこの大英博物館も出来ていて、その後日本でも明治の早い段階で国立の博物館が設立されたが、当時のイギリスは何でも日本の見本となっていた。明治の使節団が見た博物館と、情報化時代の今の自分が見ている陳列物と、見ているものはそれ程変わらないだろうが、受けるインパクトは大きく違っていたに違いない。当時の明治人には驚嘆の目をもって記憶にインプットされたに違いない。
2階のコーナーも一渡り鑑賞し、集合場所の1階シーザー像に前に戻ってきた。集合時間委はまだ20分も早く、集まってきているツアーメンバーもちらほらだ。そう言えばまだこの栄光の大英博物館の外観の写真を撮っていないことに気が付いた。先刻入館した時は、裏口のロンドン大学の方から入ったが、本来、正面から入るべきなのだ。建物の正面に回り、一旦外に出て、全体が見える場所まで建物から離れ、写真撮影する。ギリシャ風と言うか、ローマ風と言うか、ネオロマネスクの壮麗な建物だ。建築当時の英国が一番富んでいた時代に建てられたものに違いない。自分の写真も1枚記念に撮って、集合場所に戻った。
明治の初め、岩倉具視の使節団がロンドンにやって来た時には、既にこの大英博物館も出来ていて、その後日本でも明治の早い段階で国立の博物館が設立されたが、当時のイギリスは何でも日本の見本となっていた。明治の使節団が見た博物館と、情報化時代の今の自分が見ている陳列物と、見ているものはそれ程変わらないだろうが、受けるインパクトは大きく違っていたに違いない。当時の明治人には驚嘆の目をもって記憶にインプットされたに違いない。
2階のコーナーも一渡り鑑賞し、集合場所の1階シーザー像に前に戻ってきた。集合時間委はまだ20分も早く、集まってきているツアーメンバーもちらほらだ。そう言えばまだこの栄光の大英博物館の外観の写真を撮っていないことに気が付いた。先刻入館した時は、裏口のロンドン大学の方から入ったが、本来、正面から入るべきなのだ。建物の正面に回り、一旦外に出て、全体が見える場所まで建物から離れ、写真撮影する。ギリシャ風と言うか、ローマ風と言うか、ネオロマネスクの壮麗な建物だ。建築当時の英国が一番富んでいた時代に建てられたものに違いない。自分の写真も1枚記念に撮って、集合場所に戻った。
館内1階の集合場所、グレートコートに戻る。2階は喫茶ルームになっている。
この下にシーザーの騎馬像がある。今はトーテムポールしか見えないが・・。
この建設に際しては世界中から寄付を募り、中には日本人の名前もある。朝日新聞の名前も見えた。
さて、いよいよ博物館を後にした。