ちゃおチャオブログ

日々の連続

イギリスの3日間(35)シェイクスピア旧居を出て、市内散策。

約30分、2階建てのシェイクスピア旧居を見て回り、外に出る。
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建物外観。どこにでもあるようなイギリス風の普通の建物だ。
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外の小広場ではまだ猶シェイクスピア劇が演じられていた。
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何か、蜷川マクベスを思い出す。
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一旦市内の目抜き通りに出て、1時間ほどの自由行動となる。
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戦国時代に建築されたお城が今現在そのままの形で幾つ日本に残っているのかは自分は知らない。有名な犬山城にしても白鷺城にしても、江戸期かその直前の織豊時代だろう。日本でも寺社仏閣であれば、かなり古い建物も現存しているが、500年前の日常生活に供された建物の一部が残っているのは、極まれだ。

日本の主だった城郭は大体見て回っているが、戦国時代からのお城はよく知らない。大体どこも織田、豊臣、徳川と続く国土平定の中で打ち壊されて来た。従って、英国のここストラッドフォードアポンエイボンシェイクスピアが500年前に住んでいた家屋を見、家の中を見るのは珍しい機会だった。今とそれ程変わらない部屋の構造、什器、ベッドとナイフとフォーク。そこに無いのは液晶テレビと冷蔵庫、洗濯機等の電化製品だけ。それ等を除けば、人々の生活は500年前と今とそれ程変わってはいない。

室内が綺麗にアレンジされたシェイクスピアの旧居を出ると、外の広場では相変わらず先刻のシェイクスピア劇が繰り広げられている。丁度、添乗員が小田島さん。小田島雄志氏とは血筋の関係はないようだが、彼等の路上劇を見ていると、蜷川マクベスを思い出す。立ち止まって見たとしても、どの道話している英語は分からない。グループメンバーも同様で、そのまま横目で眺め、目抜き通りに出て、これから昼食までの凡そ1時間、自由時間となる。ツアー客はそれぞれ土産物店に寄ったり、コーヒーショップに入ったりして、疲れを癒している。当方、空き時間を利用して、ここから又孫への絵ハガキを送る。昨日、コベントガーデンの郵便局から送ったばかりだが、どれ程文字が読めるか分からない孫ではあるが、絵葉書を貰って喜ぶに違いない。

絵葉書と切手の販売箇所を探すと、目抜き通りの中ほどに比較的大きな土産店があり、そこでは郵便業務も一部委託されていて、切手も売っている。そこで絵葉書を買って、その場で住所とひらがな文字を書いて郵送する。店内には観光客向けのいろいろな土産品が売られているが、可愛い手織りの帽子をお土産に買う。シェイクスピアの町の毛糸の帽子。大きくなったら、多少の意味は分かるだろう。

絵葉書を出してから、500mも無いような目抜き通りを通り抜け、エイボン河畔に出る。通りが終わり、信号機付きの交差点を渡った直ぐその先だ。大阪市内を流れる淀川、大川、道頓堀川など、平地を流れている川は流れも緩やかで、川が流れているのかそうかも定かに分からないが、このエイボン川も同じように、流れは緩やかだ。ちょっと目には堀割りのようにも見える。

ホーリートリニティ教会の裏で見た川はそれなりの流れもあったが、今橋の上から眺める川は、将に掘割のように本流から流れを引き込んで、河岸にしているようだ。皇太子殿下は、こんな光景を眺め、英国の河川の舟運などの研究に進まれたのか?? シェイクスピアも幼少時、この川で遊び、荷揚げ等も手伝っていたのかと思うと、光景が懐かしく思えてきた。 



各自それぞれ思い思いの場所に散って行ったが、自分は郵便局を探す。
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目抜き通りの大きな土産店が郵便業務を兼務しているとのことで、そこで絵葉書を買い、孫に出す。
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絵葉書を出してから、目抜きの直ぐ先にるエイボン川まで出る。
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エイボン川に繋がる支流。クリークかも知れない。
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橋の上からエイボン川を眺める。この辺りは河港、河岸になっているようだ。
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