ちゃおチャオブログ

日々の連続

秋川渓谷「阿伎留~城山~石舟橋」紅葉狩り(6・最終)石舟橋の紅葉。

戸倉から檜原街道を歩く事約15分、十里木の交差点に出る。
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木陰に秋川も見え、石舟橋も見える。だが、紅葉はそれ程でもない。
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見晴らし台から渓谷を眺める人もチラホラ。
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橋を歩く人もそれ程多くは無い。
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戸倉城山を下り、三島神社の横の登山口に出た。こんな所に三島神社? これは多分この辺り、戸倉の集落が小田原北条の支配下に置かれた際、大石氏なり北条の関係者が伊豆の三島大社の分社として勧請したものだろう。登山道の直ぐ横に神社参詣への石段が数十段見えるが、疲れた足で再び上る気力もなく、神社の由緒を読めばその由来も分かるのだが、「三島」の名前からの想像に任せることにした。

奈良明日香の時代、大和の勢力が東漸するに際し、近し海、近江の地には武部大社が建立され、更に下って熱田の神宮、遠き海の地の浅間大社富士川の先はトツ国、伊豆の三島。更に更に箱根を越えて、板東の先、蝦夷との最前線の地に鹿島香取の両神宮が建立された。西洋列強が世界各地に領土を広げると共に、キリスト教がその地に浸入して行った遥か前の時代に、この国では大和の支配権の伸張と共に、八百神の進出があった。今ここにある三島神社も、そうした古い時代の勢力図のマイルストーンの名残として、現在にあるのだろう。

戸倉の集落を抜けて、檜原街道を歩く事凡そ15分、十里木の交差点に出る。右へ行くと大岳の麓、鍾乳洞で道は終わるが、左に行くと、ずっとこの先、檜原、数馬を経て、奥多摩周遊道路に出て、山の反対側、小河内の奥多摩湖へ出ることが出来る。車があった頃、この道路や周辺の山へは何回か来たこともあった。車があると便利だが、車が無くても足がある。今は足で動ける範囲を楽しめれば、それで十分だ。

突き当りの十里木バーベキュー広場を左手に少し進んだ所に、今日の目的とする石舟橋がある。秋川渓谷紅葉の名所として夙に有名な場所であり、この橋はいつの頃かそうした紅葉狩りの花見客の為に作られた。宮崎椎葉村にあるゆずり葉大橋とか、茨城袋田の滝そばにある竜神大橋と同じような観光用の橋だ。レジャーの楽しみの目的で、こうした橋を各地に建設する。日本が豊かになった証左で良いことだ。江戸時代だって既に錦帯橋は遊び心で造られた。

帰りのバスを待つ客でごった返す十里木バス停の前を人ごみを分けるようにして橋に向かう。沢山の人が橋の方向に歩いて行き、又、橋の方向から戻って来る。木の間に橋も僅かに見える。だが、橋の上は人でいっぱいと言うことはない。理由は単純だ。紅葉がそれ程感動的ではない、と言う事。人々は橋の手前、見晴らし台から渓谷の紅葉
を眺め、それ程感動した様子も見せず、又、感嘆の黄色の声も発せず、今来た道を十里木駐車場の方へ引き返す。今年の紅葉は人々に大きな感動を与えるものではなかった。

自分自身も期待外れにややがっかりしたが、兎も角目的の橋までやってきた。並みの魅力しかない渓谷だが、橋の途中まで渡り、渓流を眺めた。この橋を渡った先には、瀬音の滝とか温泉があって、足湯にもつかれる、と先の古老が言っていた。だが、余り見事でもない紅葉の森をこれ以上歩いて行くのも、疲れるだけだ。橋の途中から引き返し、バス停に戻り、五日市駅に戻った。丁度ホリデー快速が出る処で、構内のコンビニで缶ビールを買って快速に飛び乗り、1時間足らずで東小金井に着いた。これも又駅構内の魚力で刺身の盛り合わせ買って自宅に戻り、先ずは早風呂で今日1日の汗を落とし、よくぞ歩いた今日1日の歩行22,951歩、16.29キロのハードなハイキング、紅葉狩りは十分堪能できなかったものの、我に乾杯! 秋の山里の良い1日、良く歩いた。ご苦労さん。
                             終



橋の途中まで行って、奥多摩の山々を眺める。
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今回の紅葉狩りは、やや期待外れに終わってしまった。
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橋の途中まで行って、その先の瀬音の民までは行かず、引き返すことにした。
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十里木バス停の前の民家の裏の紅葉の方が見事に紅くなっていた。
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