ちゃおチャオブログ

日々の連続

The Third Eye カトマンズへの道(31)ダルバール広場周辺を歩く。

ハトが餌をついばむ傍らで犬が寝そべっている。平和な光景だ。
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何かマツタケの笠を重ねたような建物が多い。この国の伝統的建物だ。
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大きな寺院の前に出店が出ている。衣類、日曜雑貨が売られているが、昔風の百貨店だ。
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辻々にはこうした社のようなお宮が建っている。
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クマリの館を出てから、少しこのダルバール広場周辺を歩くことにした。この町の歴史景観地区だ。古い建物、寺院などが混在している。ネパールは今は王政が廃止され、共和国になっているが、古い昔には、この辺りのどこかに王宮もあったに違いない。嘗てマヘンドラ国王が住んでいた旧王宮は、自分の泊っているホテルブッダのあるタメル地区の先にあるが、同国王の跡を継いだ息子のビエンドラ国王は、10年ほど前に発生した宮廷内騒乱事件で死亡し、以降この国は共和制になったのだが、同時にその王宮跡は博物館になった。

隣国ブータンは尚王政だが、シッキム、ビルマは既に無く、カンボジアシアヌークも風前の灯だ。アジアから王国、君主国がどんどん減っていき、残された日本やタイとすれば淋しい限りだが、何はともあれ日本は世界最長の天皇家、国家、国民の統合のシンボルを守って行かなければならない。

山岳部族グルカ兵は勇猛強健で知られているが、王政時代の近衛兵。後、イギリス軍の傭兵として採用され、イギリス軍の司令の元、世界各地に展開したが、特に有名なのは、英国がビルマを保護下に置いた際、この国を軍事的に抑えていたのがグルカ兵だった。勇猛果敢な傭兵と言えば、スイス兵とこのグルカ兵。嘗て、このダルバールに王宮があった頃には、近衛のグルカ兵がこの地区の治安を守っていたに違いない。今はどこを探してもそうした兵士の姿を見ることはできないが・・。時代の趨勢とは言え、王政を失ったことは、この国から臍が無くなったようなものかも知れない。

奇妙な、尤もそれは日本人の自分にだけそう見えるのかも知れないが、マツタケのようなキノコの笠を重ねたような建物が幾つか見える。この2階建ての松笠建物がこの国の伝統様式かも知れない。3年前の大地震で被害を受けた筈だが、伝統的な古風な造りはそうした地震にも強いのかも知れない。京都奈良の五重塔が幾多の大地震に倒壊もせずに、現代に美しい姿を見せているのは、そうした昔からの知恵があったからだろう。

人々の服装、顔付はどうみてもインド的だ。東アジアの米作文化のアジア人とは明らかに違う。自分の目から見て、同じアジア人とはどうしても一緒に見えない。アーリア系と言うのもおこがましい。どこかインド古人種ドラビダの末裔を思わせる風貌の人が多い。実際、そうした人々は近年になってインドから流れてきた、純粋インド人かも知れないが・・。奇妙な装飾とか、店の感じ、全体の雰囲気は、矢張りインドの亜流に思えた。



土産店がある。絵葉書を買おう。
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観光客相手の骨董品が売られているが、この国では、まだ骨董商のような専門業は成り立っていないようだ。
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いやー、驚いた!この風疹雷神のような神様は何だ! どこから見てもこれはドラヴィダの神様に違いない。 
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さて又この街の興味は尽きない。
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