ちゃおチャオブログ

日々の連続

The Third Eye カトマンズへの道(45)プラーナーキラー城内の遺跡。

茂みの中でうごめく人がいる。あんな場所で何をしているのだろう・・
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ああ、ここは城壁を利用した住居跡だ。
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何か石を砕いているようにも見えるが・・。
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ああ、何か遺跡の発掘でもやっているのだろうか・・
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林の茂みの中で、何か人の動きがある。殆ど無人に近いような打ち捨てられた城塞の中で珍しい人の影だ。緩慢な動きの中で、何人かが土を掘ったり、何かの小物を持ち運んだりしている。ああ、そうか、彼等は遺跡の発掘をしているのだ。19世紀、ムガール帝国最後の皇帝がイギリス軍によりビルマに放逐されると共にこの王朝は遂に潰えてしまったのだが、その前後のインドの大乱に際し、この城塞も民衆により襲撃され、滅茶苦茶にされたに違いない。そうした混乱の中で、金銀財宝なども散逸し、建物の下敷きになり、土に埋もれてしまったに違いない。今そうした過去の財宝なり、骨とう品なりの遺物を長い時間をかけてゆっくり掘り出しているのだろう。・・だが、先刻の資料館にはそのような宝玉の展示はなかったが・・。

いや、彼等が掘っているのはもっと古い地層の遺跡なのかも知れない。そう言えば先の資料館の中にはそうした古い時代、石器時代青銅器時代の発掘品が展示してあった。人は環境に適した、住み心地のよい場所に何世代にも渡って住み続ける。それは民族を超えて数千年、数万年もつづくこともある。エジプトの数千年にもわたる歴代王朝、中近東、メソポタミアの古代都市。先年訪問したトルコのトロイでも町は焼き払われ、その上に新たに町が築かれ、又破壊される。日本でも前期縄文時代から続く三内丸山では5000年、6000年の長きに渡って集落が維持されてきた。古都京都の遷都1200年などは、世界の歴史からみれば、短いものだ。

このプラーナーキラーもフマユーン皇帝がここに城塞を建造した時点で、ここには地元の民族が生活していたに違いない。少し高台にあり、近くには大きな川も流れている。生活環境としては申し分ない。その地元民の集落は打ち壊され、その上に城塞が出来、今またその城塞は放棄され、今はだだっ広い緑地公園になっている。その地元民集落以前にも更に古層のドラヴィダ等の原住民が住んでいたのだろう。今彼等が時間をかけて地面を掘り下げているのは、そうした古い民族の古い考古物かも知れない。見晴らし塔の反対側には、大きなしっかりとした石造りの建物が見える。嘗てのこの城塞の中の中心建物、霊廟だ。最後に性病を眺めてみよう。



地下室、地下回廊もしっかり残っているようだ。
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皇帝用のプールなども残されている。
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この地下道はどこまで続いているのだろう。
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あれが、モスレムの霊廟だ。見に行こう。
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