広島は市内で太田川が分流し、7つの川が流れていると言われるが、空から見るとそれが良く分かる。
広島を過ぎると二日町辺りか・・。厳島は見えないが・・。
岩国から周南市に向かって進んでいく。
伯耆平野ないし米子平野のほぼ中央、海岸近くにドンと構える独立峰、大山。山の形の良さから伯耆富士とも呼ばれ、江戸時代、この先の沖合を通過する北回り船からは、遠くからでもよく目立ち、航海の目印、海の守り神ともなっていた。この山に登ったのは、15年程前の2002年12月で、8合目から上は20-30cm程の積雪だった。西日本で一番高い山は四国の石鎚山だが、この大山は中国地方で一番高い山で、1700mを超えている。機上から見ていても、間の中国山地は低い山の連なりで、遠くに白い雪帽子を被った大山が、一つ飛び抜けて立っている。
月日が経つのは本当に早いもので、あの雪山の登山を昨日のことにように覚えているが、もう既に15年は経ったのだ。眼下に見下ろす瀬戸内の町を歩き、寺社仏閣を訪ね、山に登ったのももう10年以上も前になるだろう。もう既に遠い昔の出来事になっている。干からびた記憶の中に活きているのかも知れない。大山を案内してくれ、一緒に登った鳥取在住の登山者とも、今では没交渉になっている。過ぎ去ること、流れる川の流れのごとし・・。
広島市内を貫流する太田川は市内に入る直前に幾筋かの川に分流し、海に注ぐが、眼下に見える幾筋かの帯のような流れは、広島の上空だろう。全く瀬戸内航路と同じように、空の空路も経校shているのか・・。勿論機上からは広島城も、厳島も区別はつかないが、見覚えのある海岸線は、嘗ての記憶を呼び覚ます。
今は周南市という聞き慣れない名前になっているが、昔の徳山だ。小野田から、光、下松にかけての巨大な臨海工業ベルト地帯だ。昔は深夜でも煌々とした明かりで近代的な別世界の夜景を作っていたが、今は、それ等の重化学、重工業の工場群はどうなっているのか・・。日中、機上から眺めても、良くは分からない。日本の三次産業が衰退しているとは言え、この辺りの工場群は、まだまだ頑張っているに違いない。
その周南市を過ぎた辺りから機はやや右方向に向きを変え、丁度関門海峡を上空を飛ぶようにして玄界灘に向かう。過去何回か関門海峡の上空を横断したことはあったが、今日のように海峡と平行に縦走するのは初めての経験だ。本当に帯のように、運河のように細長い海峡だ。海峡は橋で渡ったり、地下道を歩いて渡ったり、赤間宮の前の早鞆の瀬や和布刈神社の前からも眺めたこともあったが、陸上で見る限りは、こんな帯のように細長い海峡とはとても思えなかった。空から見ると、この海峡は本当に運河のようだった。
ああ、関門海峡が見えてきた!
関門海峡の前兎を並行して飛んでいる!
全く運河のようだ。下関と門司、両方の町が同時に見られる。
良い空中遊覧になった。門司のレトロ港も良く見える。