上海浦東空港も近代的な空港ビルだ。
通関もそれ程待たされずに、簡単に終わる。
入国ロビーで中国人ガイドのサイさんと待ち合わせ、直ぐにツアーバスに乗って、最初の訪問先、昆山に向かう。
高速道には簡易トイレなどを運んでいるトラックもいる。
上海浦東(プートン)国際空港が出来てから、もう20年にはなるか・・。タラップから眺める建物全体はまだそれ程年季を感じさせない、真新しい感じだ。中国は予算が潤沢だから、時々はRenewalしているのかも知れない。通関もスムーズに済み、ロビー出ると、JTB子会社の旅物語の小旗を持った中国人現地ガイドが我々を迎えてくれる。日本語は上手だ。
一部の人の現地通貨、中国元への交換を待って、空港ビルの外に出て、ツアーバスに乗り込む。団体旅行が楽なのは、こうしてガイドに付いていけば、後は何でもやってくれるという事で、自分自身でチケットを買ったり、行先の駅名を探したり、どの路線で行くかなど、煩雑で悩ましい手間が省け、安心して旅行できる、ということだ。
空港ビルの外にはツアーバスが待っていて、早速最初の観光先、昆山へ向かう。駐車場を出た直ぐ先から高速道路が始まっていて、現地までは高速道で1時間程度だ。中国の財政豊かなのには感心させられる。30年ほど前、最初に万里の長城へ行った時は、まだ高速道は出来て無く、通常の国道、そこはポプラかアカシアの高い街路樹が両側にずっと続いていたが、真っ直ぐ北に向かう国道をひた走り、真北に立ち塞がる万里の頂上へ向かったのだが、それから10年後位に行った時は、既に高速道が開通していて、殆ど1時間もかからず行くことができた。尤も、高速道を降りてから、多分政府高官の乗っている特別車両か、けたたましいサイレンを鳴らして、一般車両を脇にどけて、蹴散らすように走り去って行ったが、お陰でその緊急車両の渋滞にしばしば巻き込まれることにもなったのだが・・。
それから更に数年後、今度は五台山へ行った帰り、大同市から高速バスに乗って北京に戻ってきたが、その時は、この万里の長城の真下、即ち八達嶺山脈の真下をぶち抜き、長大なトンネルが作られていたが、その長さは自分の実感では上越道の新清水トンネル程もあるかと思えた。田中総理の初訪中後しばらくして、日本経済は長期停滞、低迷期を迎え、その後遺症を今もなお引きずっているが、その間の30年間、中国は急速な発展を遂げ、今や新幹線網も、高速道路網も日本の総延長の遥かに超える数倍もの長さになっている。
高速道、多分これは上海と南京を結ぶ構想道の一部と思われるのだが、両側には小奇麗な郊外型住宅が立ち並んでいる。いつの間にか中国には、貧しい家屋が影を潜め、いつの間にか、このような近代的な西洋的な小型住宅が立ち並ぶようになった。それもこれも国の経済発展の賜物か。日本や日本人がどんどん貧しくなり、代わりの方陣が国人がどんどん豊かになる。他人様を恨んでも詮無いことではあるが、日本の政府の不甲斐なさを思わざるを得なかった。そんな風に高速道両側の郊外の風景を眺めている内にバスは高速道を降り、最初の訪問先昆山に到着した。
一部の人の現地通貨、中国元への交換を待って、空港ビルの外に出て、ツアーバスに乗り込む。団体旅行が楽なのは、こうしてガイドに付いていけば、後は何でもやってくれるという事で、自分自身でチケットを買ったり、行先の駅名を探したり、どの路線で行くかなど、煩雑で悩ましい手間が省け、安心して旅行できる、ということだ。
空港ビルの外にはツアーバスが待っていて、早速最初の観光先、昆山へ向かう。駐車場を出た直ぐ先から高速道路が始まっていて、現地までは高速道で1時間程度だ。中国の財政豊かなのには感心させられる。30年ほど前、最初に万里の長城へ行った時は、まだ高速道は出来て無く、通常の国道、そこはポプラかアカシアの高い街路樹が両側にずっと続いていたが、真っ直ぐ北に向かう国道をひた走り、真北に立ち塞がる万里の頂上へ向かったのだが、それから10年後位に行った時は、既に高速道が開通していて、殆ど1時間もかからず行くことができた。尤も、高速道を降りてから、多分政府高官の乗っている特別車両か、けたたましいサイレンを鳴らして、一般車両を脇にどけて、蹴散らすように走り去って行ったが、お陰でその緊急車両の渋滞にしばしば巻き込まれることにもなったのだが・・。
それから更に数年後、今度は五台山へ行った帰り、大同市から高速バスに乗って北京に戻ってきたが、その時は、この万里の長城の真下、即ち八達嶺山脈の真下をぶち抜き、長大なトンネルが作られていたが、その長さは自分の実感では上越道の新清水トンネル程もあるかと思えた。田中総理の初訪中後しばらくして、日本経済は長期停滞、低迷期を迎え、その後遺症を今もなお引きずっているが、その間の30年間、中国は急速な発展を遂げ、今や新幹線網も、高速道路網も日本の総延長の遥かに超える数倍もの長さになっている。
高速道、多分これは上海と南京を結ぶ構想道の一部と思われるのだが、両側には小奇麗な郊外型住宅が立ち並んでいる。いつの間にか中国には、貧しい家屋が影を潜め、いつの間にか、このような近代的な西洋的な小型住宅が立ち並ぶようになった。それもこれも国の経済発展の賜物か。日本や日本人がどんどん貧しくなり、代わりの方陣が国人がどんどん豊かになる。他人様を恨んでも詮無いことではあるが、日本の政府の不甲斐なさを思わざるを得なかった。そんな風に高速道両側の郊外の風景を眺めている内にバスは高速道を降り、最初の訪問先昆山に到着した。
1時間ほどで高速道を降り、昆山の街並みを走る。
上海郊外の小型都市の感じだ。
さてこれから昆山の旧市街地に入る。この入城門が古風で良い。
昆山は昆劇発祥の地。土産店も多い。