ちゃおチャオブログ

日々の連続

4.16.(火・晴れ)ノートルダム炎上。

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多くのフランス人が涙を流している。パリのシンボル、フランスの心が失われたと。フランス人でなくても、カトリックであろうがなかろうが、世界の人々が驚愕している。1000年の歳月を絶え、幾多の革命、騒乱、2つの大戦、爆撃にも耐えてきたパリの貴婦人、ノートルダム大聖堂が炎に包まれ、キリストのシンボル尖塔が炎の中に崩れ落ちていく。あり得ないこと、想像も出来なかったことが目の前で起きているが、それが現実の映像だ。フェイクではない。マクロンも強い意志の中で涙していた。フランス人だったら当然だろう。
幸いに正面のファサード、2つのタワーは焼け残った。ノートルダムの背むし男が鳴らした大鐘は大丈夫のようだ。マクロンは5年をかけて再建すると言った。5年後、再建なった教会の大鐘を思いっきり鳴らし、パリ中に響き渡らせてほしい。自分も僅かだが献金をしよう。人類のかけがえのない資産を守るためにも。

完璧な人間はいない。神のような人間と言われても、人である限り不完全だ。出火の原因は人の過失によるものだ。天災ではない。修復工事中の関係者はどれ程の厳格な注意を払ったのか。外人労働者も中には混じっていただろう。火の気の不注意、注意の散漫はそこにはなかったか。古くは日本の国宝法隆寺での絵画修復の際にも電気座布団からの出火で、1500年も前の壁画が一周の間に灰燼に帰した。全くの不注意だった。つい最近でも世田谷の完成間近のビルが電動工具の火花が下の階に燃え移って、大火になった。完全な不注意だ。
人に不注意は付き物だ。人間である以上、やむを得ない。ノートルダムの大火災。他山の石としなければ。


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