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日々の連続

四国霊場・徳島編(8)七番札所十楽寺。

次に向かったのは阿波市にある十楽寺。ここの鐘楼門は有名だ。その門の後ろの白いビルが宿坊。
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ここの宿坊は120人の定員とのことである。
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本堂は宿坊とは反対側のもう一段上がった高い場所にある。
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温泉山安楽寺で斎食の昼食を摂ってから次に向かったのは、第七番札所十楽寺。ここも同じ吉野川左岸にあり、先刻の安楽寺からは吉野川を少し遡った阿波市にある。阿波の国の阿波市山梨県の山梨市や栃木県の栃木市、土佐の国の土佐市同様、その県や旧藩の県庁(藩庁)所在地にはなっていない。元々は安楽寺地蔵寺が所在する板野郡の一つ、阿波町を中心として、周辺町村が広域合併してできた市だ。平成の大合併で、日本全国、各地に新しい市名が誕生し、名前を聞いただけではどこか分からなくなるが、中心町村の旧町名を聞くと、何となく地理的概念も浮かんでは来る。

このお寺は道路からは少し盛り上がった高台にあり、駐車場から10段ほどの石段を登った先に本堂、大師堂がある。この寺も又戦国時代に長曾我部軍に焼き討ちにあって、現在ある寺域は元の場所から3キロほど離れた、平野部に再築されたとのことである。これも又徳川時代に入ってから阿波藩、蜂須賀によって建立されたようである。憎っくき長曾我部、幾つお寺を焼き討ちしたかのか知れないが、大坂夏の陣で豊臣に加勢した結果、御家断絶となり、代わりにこの地に入部した蜂須賀は、明治の廃藩置県までこの地を治め、明治になってからは侯爵に列せられもした。しかし昭和に入ってからの名声は芳しいものではなく、いつの頃か、徳が失われて行ったのかも知れない。

石段の上には珍しい鐘楼門があって、今はならしていないが、昔は時報の鐘を鳴らしていたのだ。その奥に右手には大きな3階建ての真っ白なビルが建っていて、先達さんに聞くと、ここは宿坊とのことである。外観を見る限りでは、ちょっとしたホテル並みで、巡礼ツアーの拠点にはなるだろう。その宿坊とは反対側の奥の方に本堂と大師堂があって、ここの御本尊は阿弥陀如来。八苦を去って十の光明を得る。光明山十楽寺で、特に眼疾者の帰依が多いとのことである。



この奥が本堂、大師堂だ。
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立派な本堂だ。光明山の山号が掛けてある。
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大師堂へのお参りし、次の熊谷寺に向かう。
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