ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場・徳島編(11)三番札所・金泉寺。

大日寺大師堂に別れを告げる。左手に回廊も見えている。
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黒谷の山懐に抱かれた、良いお寺だった。
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今日最後のお寺、三番札所・金泉寺にやってきた。
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朱色の山門に一礼し、左側から入っていく。
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四番大日寺での参拝を済ませ、今日最後の訪問先、三番札所・金泉寺に向かう。同じ板野町内にあり、バスでもそれ程離れた場所ではなく、徒歩の場合とは順番が逆になっているが、それだけ鳴門・徳島に近い場所にあるということ。この寺の参拝が終われば、後はホテルに行くだけだから、今日の一番札所霊山寺から始まって、ブーメランのように最初の場所へ戻るような形で、スタート地点に近い場所に戻ってくる。

このお寺の名前、金泉寺にあるように、弘法大師がこの寺を訪れ、井戸を掘った処、黄金の霊水が湧出したとのことで、それ以降、この寺の名前が金泉寺と変えられた。元々は凡そ100年程前の聖武天皇の時代に行基菩薩がお釈迦さんの仏像を彫って、それを本尊としたものだが、この寺も他の寺と同様、長曾我部の兵火により、大半の堂宇が焼け落ちた。それ以前には源平合戦の頃、源の義経小松島に上陸し、当時平家の避難先だった屋島に向かう途次、この寺に立ち寄ったとの伝承もあり、義経行状記の一つのエポックともなっている。

木造建物は燃え落ちても、井戸は崩れ落ちることはない。穴は埋められたとしても、直ぐにも元の形に戻すことができる。この寺の著名な文化財としては、大師の掘った黄金井であるが、それは丁度伊豆修善寺の弘法湯が今でもこんこんと湯泉を湧出しているように、この井戸も枯れることもなく、いまでも黄金の霊水を湧出している。自分の住んでいる小金井にも黄金井(こがねい)の井戸があり、周辺の住民にはコーヒーを淹れたり、ご飯を炊いたりと、今でも利用されているのを思い出す。

さて、その黄金井を見るのを楽しみに、朱塗りの山門を潜り、お参りに行こう。そうそう今は先達さんの言葉や注意も十分身に着いた。山門を潜る前に一礼し、左側から入り、右側から門を出る。それは山門の守護神は向かって左が口を開いたあ形、右がうん形で、それは即ち、人は、あ、から人間界に生まれ、うん、で人間界を去っていくことを表徴しているとのことである。34名、個々に一礼し、山門の左側を通り、本堂に向かって進んでいった。

金泉寺本堂と大師堂。
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本堂、ここの御本尊は釈迦牟尼仏だ。
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大師堂。
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本堂にお参りした後、黄金井を見に行こう。
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