ちゃおチャオブログ

日々の連続

6.9.(日・雨)東センター、文芸春秋、ハルキ独白。

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朝から小雨。気温も下がる。朝山さんから電話。今日の浅間ウオークは取りやめ。午後久しぶりに東センターへ。先日朝日新聞にロバートキャンベルさんが文芸春秋今月号に掲載された村上春樹の半自伝的記事についての紹介があった。ハルキが自身の家族や半生記を公にするのは珍しいことで、キャンベルも彼の生い立ちと小説への関係性を論じていた。
晴耕雨読ではないが、今日は雨で図書館へ行くには丁度よい。早速ハルキの半生記を読む。幼少時、父親と猫を捨てに行った話。自分の生まれ育った環境。兵隊にとられ、中国戦線に行き、無事に帰還した父親のこと。後半のほぼ20年間、父親とは全く没交渉で、電話での話もしていなかったこと。父親が亡くなる直前、その時はもう京都の病院で入院中だったが、父親との和解、かいごうが出来、しみじみと、自身の生まれ来った不可思議、偶然、理解不能を語っている。
彼は最後にこう述べている。

いずれにせよ、僕がこの個人的な文章において一番語りたかったのは、ただひとつのことでしかない。ただひとつの当たり前の事実だ。
この僕はひとりの平凡な人間の、ひとりの平凡な息子に過ぎないという事実だ。それはごく当たり前の事実だ。しかし腰を据えてその事実を掘り下げていけば行くほど、実はそれがひとつのたまたまの事実でしかない。偶然たまたま生んだ一つの事実を、唯一無二の事実とみなして生きているだけのことなのではあるまいか。
言い換えれば我々は、広大な大地に向けて降る膨大な数の雨粒の、名も無き一滴に過ぎない。固有ではあるけれど、、交換可能な一滴だ。しかしその一滴には一滴の雨水なりの思いがある。一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。


ああ、これは法華経の方便本だ。ハルキはいつから宗教家になった?ハルキの仏教的な宗教者的な語り口に、彼の別の面を見た思いだった。センターから帰るとき、雨足も強くなり、かなり濡れてしまったが・・


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