ちゃおチャオブログ

日々の連続

能登の春(33)鉢ケ崎海岸へ。

須須神社下の駐車場兼広場で遊んでいる母子連れにこの町のことなど聞いて、神社を後にする。
イメージ 1


神社を出て、少し先に旧村の中心部の小学校がある。
イメージ 2


三崎町から先の海岸線は穏やかな砂地が多い。前方に珠洲の岬も見えている。
イメージ 3


半島最先端、緑剛崎灯台ももう隠れて見えなくなっている。
イメージ 4





この須須神社のある辺りの地名が旧三崎村の寺家。この地名をジケと読むのは、先刻の若いママさんから教わったことだった。京都寺町を思わせるような思わせぶりな地名、何かの歴史的な事実でも潜んでいるかと聞いてみたが、彼女もその名前の起こりについては知らなかった。むしろ集落の児童数が少なく、この先の中学、高校、更にその先の進学等の将来に悩みがあるようだった。石川県で一番辺鄙な集落。彼女がどの県、市町村からこの村に嫁いできたは聞かなかったが、幸せそうに見えても、将来への不安を隠せないようだった。春の日差しの下で、幼児を屈託なく遊ばせている彼女達の心の中にも過疎の問題は重くのしかかっているに違いない。

三崎町は見た感じそこそこの人口のある集落には見えた。神社の駐車場から又車を走らせ、海沿いの道路に出たが、車からは町の広がりがかなり遠くまで見渡せた。少し走った先が旧村の中心部辺りか、人家も密集している。その更に少し先に小学校の校舎が見えた。コンクリート2階建ての新しそうな校舎。先程の若い母親が言っていた小学校だ。各地区の幼児園児が集まってきたとしても、1学年で何人になるだろうか。校庭の直ぐ脇、国道に面した所に何かの碑があって、この場所が「日本の重心」とのことである。先刻緑剛崎灯台で見た、「日本の中心」がいよいよ現実味を帯びてくる。

国道249号線は、朝立ち寄った道の駅塩田村の少し先から右折して、半島を横断するようにして珠洲市市街に出るが、今走っている道路は県道28号線、奥能登絶景道路だ。確かに塩田村から先、木の浦ビレッジ、狼煙の灯台、スカイバードのパワースポット、等々、絶景の連続だったが、三崎町から先は平坦な海岸沿いの道路になる。道路沿いの人家の数も、塩田村から狼煙までの情景と違って、こちら側は人家に切れ目がない。郵便局の数も増えてきた。津々浦々に交番があるのは日本の治安の良さの象徴ではあるが、その交番よりも多い郵便局の数。前島密三浦半島の片田舎の出身だが、その彼が津々浦々に至るまで、確実な郵便事業を普及させたが、今はその郵便局も日本の金融大国、預貯金大国の象徴ともなっている。

人家の切れ目から左側に海が見える。半島反対側の切り立った崖とか荒磯と違って、こちら側は穏やかで平坦な海岸線だ。砂浜のようにもなっている。車は間もなく珠洲郊外の八ヶ崎海岸へやってきた。里山も遠くに後退し、平野と言うか、耕作地も広がっている。その内前方に大きな5階建て以上はありそうな大きな建物も見えてくる。珠洲ビーチホテルだ。ちょっと立ち寄ってみよう。



珠洲の郊外、鉢ケ崎海岸にやってきた。
イメージ 5


ヶ崎の長いビーチが続いている。
イメージ 6


鉢ケ崎にあるビーチホテルに立ち寄って切る。
イメージ 7


ホテルの前に市の施設などもある。
イメージ 8