ちゃおチャオブログ

日々の連続

能登の春(47・最終)旅の終わり。

チェックイン入り口には阪急トラピックスのツアー客が並んでいた。
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1泊2日の能登の旅。皆満足そうだ。
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いつもはJALが多いが、ANAへ乗るのも久しぶりだった。
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さて、機上の人になる。
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来た時と違って、帰りは雲が多く、眼下の雪山は見えない。
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搭乗口で阪急トラピックスのツアー客数十人と鉢合わせする。阪急は自分がいつも利用しているツアーだ。何か親近感も生まれる。1泊2日、2万円の能登観光だ。良いホテルに泊まり、3食付きで、添乗員に従って付いていくだけで、自分が4日間かけて回った観光地を2日間で効率よく回ってくれる。皆高齢者が多いが、自分もその一人だ。本当はツアーで来れば楽で、安上がりで済むのだが、ANAからマイレージの有効期限が間もなく来ると、催促されるようにして能登空港片道分をマイレージで、帰りの便は自腹で払ったのだが、それだけで既に1万円を越えてしまった。でもそれなりに勝手気ままなドライブ旅。ツアーでは味わえない手作りの旅を楽しむことができた。

30数年前、子供たちがまだ小学生の頃、家族4人で中央アルプの山を越えて富山に出て、能登半島の入り口和倉に1泊した。その後10年程前用務で能登まで来たが、その時は半島の観光はせずに直ぐに金沢に出た。その時以来の能登で、輪島も珠洲も七尾も初めて訪問する場所だった。能登の道路事情がこれ程までによく整備され、半島に張り巡らされていたとはここへ来て、初めて分かった。狼煙のレストランでの地元の客とマスターとの会話が耳にはいってきた。昔は、ごとごとの悪路を砂埃を上げて大型バスが押し掛けてきたが、道路が良くなって、どこもかしこも舗装されたら、今度は何故か観光バスがやって来なくなり、個人客がマイカーでさっと来ては、さっと見て帰っていく。昔はここに1泊していたが、今は泊る客などいなくなった・・。たった一人の外来の客に聞こえるように話していたのか、その一人の外来客を見て、つい本音の愚痴でも出たのか、それが今の実態なのだろう。30数年前、自分も矢張り家族を連れてのマイカーで、こんな辺鄙な半島の先端まではやって来なかった。来るとすれば矢張りツアーできただろう。

来る時にはよく見えた眼下の雪山、富士山も帰りの飛行機では霧雲がかかっていて、眼下の景色は全く見えない。旅はラッキーアンラッキー、人生と同じで良いこともあれば、悪いこともある。ただ今回の旅は殆どが良いことずくめだった。たった一つ残念に思うのは、最後の行程で七尾城へ行けなかったことだ。だがそれも後の楽しみとして取っておくこともできる。何かの機会に再びこの地にやって来ることがあれば、一番で城山へ登ることにしよう。魅力の尽きない地だ。元気なうちにもう一度来てみたい。運転免許を返上する前に。今回は半島の海岸線、奇麗な海辺、浜辺を沢山着てきたが、次回は山野辺、白山、倶利伽羅、小原周辺を回ってみたい。夢は叶えられるだろうか・・。40分の空中飛行は瞬く間に東京湾上空に達し、霧の中に湾内を進む大きな貨物船が見えてきた。と殆ど直後に羽田空港に着陸し、今回の3泊4日の能登の旅を無事に終えることができた。



ツアー客のせいか、ほぼ満席に近い乗客率だ。
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雲の向こうに夕日が沈んでいく。
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五里霧中、僅かに雪山が見られる。
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雲を抜けたら、眼下に東京湾を航行する貨物船が大きく見えた。
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と、ほぼその直後に羽田に着陸した。
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