ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場・徳島編(27)今日の札止め、第十八番恩山寺。

今日最後の札所第十八番恩山寺にお参りする。
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先ずは一番上にある本堂に参拝。
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皆で般若心経を唱和する。
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続いて大師堂へ。
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徳島の南、阿南市との間にある小松島。昔は海辺に茂る松の林でもあったのだろう、この一帯はそんな名前で呼ばれていた。源平合戦の頃、兵庫一の谷の戦いで敗れた平家軍は、海を渡って屋島に逃げ来たり、そこで体制を立て直しつつあったが、源氏方の追及の手は緩まず、義経が別動隊の一軍を率いて、神戸から遥々紀伊水道を渡って徳島の南、ここ小松島に上陸した。そこから陸路、山を越えて屋島の背後に出て、そこにいた平家軍を蹴散らし、遂に平家は早鞆の瀬戸、壇ノ浦まで落ち伸び、そこで命運は尽きたのだが、その屋島の戦いの源氏方勝利の最大の功績は、ここ小松島からの奇襲攻撃にあり、それは丁度一の谷でのひよどり越えの奇襲戦法と似た処があった。


小松島はそんな義経の故事で全国的に有名で、国道を外れ、恩山寺に向かう道路の小高い丘の上に馬に乗った義経銅像が経っていた。お遍路巡りのバスは観光旅行ではないので、その前に止まることもなく、そのまま通り過ぎて人里離れた山中に入っていく。恩山寺山号は母養山で、この義経の故事の凡そ400年程前、空海がこの寺で修業していた時、母親が訪ねねやってきたのだが、当時この寺は女人禁制。そこで空海護摩壇を築いて修法を行い、女人禁制を解いて漸く母親を迎え入れることができたという。バスはその結界の場所、花折り坂の小橋を渡って、寺の境内に入っていく。

寺は山の端の木々の茂った中にあって、夕方に近い時間も相まって、何か暗いイメージのお寺で、母子対面の寺という明るさは感じられないが、仏門、仏道に入るということは、そうした親子の情も断ち切る必要があったのか。
境内の一番高い場所にある本堂にお参りし、続いて大師堂。更にお釈迦さんの10大弟子が安置されている御堂にお参りし、本日の札止めとした。ここからは真っ直ぐ徳島市内のホテルサンシャインに戻る。今日も又長い1日で、合計7ケ寺に参拝することができた。高い山の上にある鶴林寺太龍寺の二寺を参詣できたことは、印象深かった。



ここでも又、今日最後の心経の唱和。
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その後、釈迦十大弟子の御堂にお参り。
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お釈迦さんの十大弟子。高弟阿難(アーナンダ)もいる。
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中央のお釈迦様にお参りし、今日の札止めとした。
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