ちゃおチャオブログ

日々の連続

10.6.(日・曇り)金ぴか先生の最後。

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昨日の新聞死亡記事に金ぴか先生の死亡が写真付きで出ていた。元予備校英語教師、本名佐藤忠志68歳の孤独死。名前は知っていたし、写真の顔にも見覚えはある。いろいろテレビとか出ていて、有名なタレント教師だった。9月24日に部屋で死んでいたのが発見されたのだが、腐敗が進み、身元特定に時間がかかって、昨日漸く本人と確認されたようだ。

死亡記事だけでは詳細は分からず、ネットで検索した処、丁度先月の8月、週刊現代の記者が自宅を訪ね、インタビューしていた。その時撮られた写真は、新聞の顔写真とは似ても似つかない、やせほろった、年齢よりは10歳以上も年上の如何にも耄碌じじいの上半身裸の写真だった。余りにも大きな落差に驚き、ネット記事を読んでいくと、金ぴか先生は1980年代、超売れっ子の塾教師で、一コマ90分が200万、年収は2億円を超していたとのことである。受験本なども沢山出して、当時は印税だけでも1000万円をこえていた。一時は小泉政権下で衆院選にも出たのだが、落選した。

金回りの良いころにはクラシックカーに凝っていて、高額なヴィンテージカーを何台も所有していたが、ここ何年か仕事も無く、収入は途絶え、それ等の車も手放さるをえなくなり、終いには長年連れ添った奥さんからも愛想をつかされ、2年半前に家を出て、今離婚調停中とのことである。

自宅はあるものの、収入はなく、去年からは生活保護を受けていて、新潮記者が訪ねた時には、電気もガスも止められていて、上半身は裸だったとのこと。

コンビニで買った焼酎の小瓶がベッドの脇に何本か転がっていて、朝から焼酎を飲み、食事も碌に摂らないから。やせ細る一方とのこと。「もう自分はいつ死んでも良い。生きる希望もないし、死にたい。死んでしまった方が楽になれる。身体のあちこちが痛く、その痛みを忘れる為に朝から焼酎を飲んでいる。」と話していたそうだ。

記者が訪ねてから1か月もしない中、9月下旬、区の生活支援担当者が家を訪ねた処、本人は既にこと切れていた。望み通りの死だった。

 

人の生き方、どの様に生きて死ぬかは本人の勝手だが、68歳と言ったら、まだ周囲には大學の同期や高校の同級生も活発に活動しているだろう。一時は同級生の中でトップを走り、花形で有頂天の時もあった。そして最後は後ろ指を差されるように死んでいった。

絶好調の頃、もう少し違う生き方、将来への資産形成は出来なかったのか・・。人を教える立場でありながら、自身の自治は出来ずに、哀れに、侘しく死んでいった。

 

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