ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場・高知篇(36)第三十一番五台山竹林寺へ。

カワウソの里で昼食を摂って、須崎を後にする。

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次の札所は第三十一番竹林寺。書院の方から寺に入る。

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夢想疎石の作庭した庭だ。

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古い造りの山門だ。

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須崎にあるカワウソの里で昼食を摂ってから、バスは自動車専用道を通って約1時間、高知市郊外の竹林寺に向かう。ここも又先刻の延光寺同様、聖武天皇の勅願により行基が開基したお寺で、この前後行基は一体何ケ寺のお寺を創建しのだろうか・・。菩薩と呼ばれる所以である。聖武天皇は夢に文殊菩薩を見て、中国五台山に似た場所に寺を創るよう行基に命じ、この場所が選ばれたとのことである。

 

自動車道を下りて、一般道からこの寺に向かう時、バスから見るとここは確かに高台になっていて、他の平地とは一段抜けた感じの里山の中にある。しかし自分は以前に中国五台山へ行ったこともあるが、そこは標高が1000m程もある山中の中にあって、大きな盆地の中にお寺も数十もあって、この竹林寺とは規模も山の高さも大違いだ。中国五台山はどちらかというと高野山に似ていて、山中の宗教都市だが、その規模は高野山を遥かに凌駕する程の広さだ。

 

以前このお寺には参詣したことがあった。それが何時だったか定かな記憶が無いが、愛媛の宇和島から電車に乗ってこの町、高知へやって来た時よりも以前のことだ。その時レンタカーで動いていて、メインの目的はこの寺の直ぐ近くにある戦前の総理、ライオン宰相と言われた浜口雄幸の生家を訪ねた時だった。生家は人家の少ない藪の中にあって、如何にも貧し気な平屋の家屋だったが、こんな境遇の中から戦前を代表する総理が生まれたとは、本当にあばら家に近い生家を見て、感心したものだった。日本人の強さ、日本の強さはこんな所にもあったのかと。その足で近くにある竹林寺を訪問したのだが、当時は巡礼というよりも興味本位で幾つかの霊場を回っていた。その時に回ったのが最御崎寺だったり、医王寺だった。

 

もう30年以上も前のことで、記憶もあいまいだが、寺の名前の通り、竹の多い寺だった。竹林の参道を通り抜けた先に境内があり、その時は五重塔があったかどうか記憶にない。今日はバス駐車場からの参詣で、道路の反対側には牧野植物園の大きな建物が見えるが、30数年前に来た時は、こことは違う入り口から参内したのだろう。書院の庭の前を通り過ぎ少し進むと、大きな山門に出る。入母屋造りの古風騒然とした山門だ。この山門を潜ると境内に入るのだが、広い境内だ。矢張り以前来た時は別の入り口から参内したのだ。土佐第一の名刹。昔の記憶がどことなく蘇ってきた。

 

山門を入ってから長い参道を歩き境内へ。

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暫く進むと奥に五重塔が見えてきた。

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前方に本堂が見えてきた。

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知恵の神様、文殊菩薩がご本尊になっている。

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