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日々の連続

四国霊場・高知篇(38)第三十番善楽寺での参拝。

竹林寺の次に向かったのは善楽寺。お寺の横には大きな神社がある。

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ここは土佐一之宮、土佐神社だ。

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第三十番札所善楽寺本堂。

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土佐藩山内家の信仰も篤く、多方面で寄進を受けていた第三十一番竹林寺を後にし、そこからは竹林寺の丘を下った直ぐの場所にある第三十番善楽寺に向かった。巡礼の順番は逆になっているが、今回の巡礼では、この善楽寺とその後に向かう第二十九番国分寺で今回の札止めとなり、その後は一路高松に向かい、今晩、高松空港から帰京することになる。

 

善楽寺がどんな特徴、言い伝えのあるお寺かは先達さんからも詳しくは説明なかったが、バスを降りて、山門を潜る直前、寺の左側に大きな神社の参道があって、少し横道をそれて、その神社を見ると、真っ直ぐの長い参道が奥深くまで伸びていて、歴史ある由緒ある神社と思われた。参詣者の多くがこの神社の方にやってきて、大上先達も後からついてきて、この神社は土佐一之宮、土佐神社で、嘗ては土佐の国総鎮守で、長曾我部の帰依も篤く、元親の時代に建てられた社殿は現在重文に登録されているとのことである。

 

今回は巡礼行で、神社巡りではないので、入り口付近から参道を眺めるだけに留め、本来の善楽寺参拝に向かう。四国のお寺は全体に聖武天皇の祈願による行基菩薩の開基が大半だが、この善楽寺に関しては弘法大師が最初からこの場所に寺を建立し、長曾我部、その後を継いだ山内家からの帰依も篤く、江戸時代までは繁栄していたが、明治初めの廃仏毀釈で一旦は寂びれ、廃寺にもなったが、復興は送れ、漸く昭和の時代に入って再興なり、現在に至っている。

 

珍しいのはこの寺の住職は女性で、八十八ケ寺の中では現在唯一の女性住職となっている。御本尊は阿弥陀如来。おん あみりた ていせいからうん。 西方浄土にいます阿弥陀様。南無阿弥陀仏の佛さまだ。今日の最後の一つ手前の札所、トリの札所に相応しい。

 

ご本尊は阿弥陀如来西方浄土の佛さまだ。

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先達の大上さん。女性だ。この寺の住職も唯一の女性だ。

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大師堂。廃仏毀釈の後、漸く昭和になって再興され、建物は全体に新しい。
大師堂での参拝を終え、最後の国分寺に向かう。

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