ジャングルの一番奥には射撃場があった。ここで30分ほどの休憩を取る。
近くには高射砲も置いてあった。
ジャングルの中に巧妙に作られた空気坑、Ventilation。
クチトンネルの射撃場の前の休憩所で一休みしてから、入り口に戻るべく再び林の中を歩いていく。林のあちこちで小グループの観光客の姿が見える。その中に日本語も聞こえてきたので、見ると20代30代の若者だ。年恰好から言ったら、戦後生まれ、則ちベトナム戦争が終焉した後に生まれた世代のようで、勿論彼らにはベトナム戦争の実感はない。
当時米軍は世界最大、最強の武器を投入し、北の共産主義を屈服すべく戦っていた。しかし、ケネディが凶弾に斃れた後を継いだジョンソン大統領の元、陸軍の猛将ウエストモアランド将軍の果断な戦闘も彼等ベトコンのゲリラ戦法に勝つことはできなかった。北との最前線ダナン沖では、世界最大の航空母艦エンタープライズもただいたずらに洋上を遊弋するのが精いっぱいだった。世界最強の米軍は、歴史上初めて敗北を喫した戦争だった。
帰り道にトンネルに入ってみる。高さは50-60cmか、腰を屈めておよそ70m程を歩く。途中には膝と両手を地面について、匍匐前進のようにして歩かなければならない狭い場所もある。以前トルコのカッパドキアでのイスラムの迫害から逃れたキリスト教徒の地下都市のトンネルを思い出した。
トルコは規模も大きく、実際、地下で生活が行われていたが、こちらはトンネル通路に過ぎない。モグラの洞穴を人間用に大きくしたものに過ぎず、地下道はずっと先の方まで続いているが、当方、腰も痛くなって、次の出口で地上へ出た。他の3人も同じように少し先のピットで洞穴から這い出してきた。ベトコンはこんな原始的な苦労をし、最新鋭の米軍と戦い、打ち負かせたのだ。この時代にもしもクラウゼビッツが生きていたら、この戦争をどのように評価しただろうか・・。
洞穴から這い出た皆さんにジョニーの好意でタピオカがご褒美として配られる。キャッサバのことで、里芋とサツマイモの中間のような芋で、東南アジアでは主食になっている。ふかしたてのキャッサバ、小さな固まりを幾つも頂いた。ジョニーもタピオカを知っている自分には喜んでいた。出口の近くにはシネマハウスもあって、200人ほどは収容できるシネマセンターで、我々4人プラスアルファ数人で、ベトナム戦争時の「教育用」のビデオ映像を見せられた。この司令部の直ぐ横をサイゴン川の上流が流れているを知り、成程ここは戦略上の要点だったにかと、改めて気が付いた。
半地下の鋳物工場。
食堂や、医療施設も半地下状に作られている。
最後に地下トンネルを潜り抜け、ご褒美にキャッサバを頂き、映像センターでビデオを鑑賞し、クチ、司令部跡を後にした。