ちゃおチャオブログ

日々の連続

サイゴンの3日間(28)チョロンのお寺を後に、サイゴン市内に戻る。

チョロンのお寺の霊廟の前で。

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Lucyさんとの仲良しツーショット。

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お寺を後にサイゴン市内へ戻ることにした。

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地図上からはサイゴンと言う地名が消えて、代わりにホーチミン市になっているが、同様に、このチョロン乃至ショロンも地図を探してもどこにも見当たらない。共産党が支配する国になって、旧弊一掃、昔馴染んでいた地名なども即廃止し、全く異なった地名に変わったのだろう。幸いなことに、地元のベトナム人にはサイゴンもチョロンもそのままで通じるので、取り敢えずは問題ないが、ロシアのレニングラードのように、時代とともに又元の名前に戻ってくるかも知れない。中国系住民にとっては、愛着のある地名であることは間違いないだろう。

 

ベトナム人の宗教心がどれ程深いものかは分からないが、日本風に両手を合わせ仏に合掌し首を垂れるのは共通だ。いや、それは日本人に限らず、アジアの仏教徒に共通する仕草であって、キリスト教徒のように片手で空に十字を切るとか、イスラム教徒のように、三跪九拝するような大げさなものではなく、心静まるものだ。Lucyさんが何を願ったかは知らないが、何かのお祈りをしているようだった。自分自身の健康、家族の健康を願っていたのかも知れない。彼女のことだから、お金持ちになりたい、なんて世俗的なことは願わなかったに違いない。

 

タイのお寺では放鳥や放魚を興味本位で数回したこともあったが、ここではやめておいた。籠から小鳥を数羽開放してやると、パタパタ真っすぐ空の高みに飛んでいくが、小鳥も狭い籠の中ら解放された喜びを一心に表し、又解き放してやった旦那、施主もそれなりの気持ち良さを感じ、少しばかりリッチな贅沢な気分になるものだったが、ここでは何かそんなことをすると、見栄っぽく見られるのを憚った気持ちもあった。彼女の前で旦那ぶることもないだろうと。

 

お寺を後にサイゴンに戻ることにした。本当はボートピープルが大挙漕ぎ出していった港を見てみたい気持ちもあったが、彼女に任せることにした。見るべき価値がある場所なら、黙っていても案内してくれるだろう。革命騒ぎで、そんな港跡などがらっと変わっているかも知れない。大体もうこの町は昔栄えた港町ではないのだ。サイゴンへの帰路は朝来た街道とは別の道路を通って北上した。もう一度あの素晴らしい並木を見たかったが、贅沢は言えない。全てがお任せだ。サイゴン市内に入る直前、途中のレストランに入って昼食とする。ここでも又当然ながらフォーだ。

 

サイゴン市内に入る直前、お昼にする。

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ここでも当然フォーだ。町の食堂のフォーは美味しい。

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再びサイゴン市内に戻ってきた。ここはどこだろう??

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