日本語には雨の表現が数多くあり、どこかで聞いた話だが、日本語ほどそうした微細な雨を表現する言語は世界でも稀とのこと。今日の小雨とも言えない細かい雨。細雨、細霧、霧雨。霧でもないから霧雨は当たらないだろう。小糠雨、程の雨量ではない。しとしと雨。傘も差さずに歩けるほどで、上着もびっしょりとはならない。初夏の細霧で、むしろ濡れた方が気持ち良い。
今日から日常が戻る。全面解禁ではないが、徐々に日常を取り戻していくだろう。今朝の新聞、かなりの量の折り込みチラシが入っていた。元々毎日は朝日よりも少なく、コロナ期間中の2か月、殆どチラシは入って来なかったが、今日は久しぶりに賑やかなチラシの厚み。新聞にチラシがあるのも、日常の風物詩だ。マルエツ、牛肉全品4割引きの広告に釣られ、小糠雨の中、買い物へ。途中、保育園の前を通ると、賑やかな子供達の声が建物から漏れてくる。保育園が無人で、何の声も響いてこないのは、土日の休みならいざ知らず、何日間もずっと無人のままは異常な日常だ。保育園からは矢張り、小さな黄色い声が響いて来るのが常の日常だ。
午後野川に出る。先月は成績が振るわず、月間30万歩に達せなかったが、まあ、無理せずに頑張ろう。それが長続きの秘訣だ。
先週も同じような細雨の中、かなりの人が散歩したりジョギングしていたが、今日は極端に人が少ない。出会うのは2-3人。カラスも小鳥も鳴いてなく、聞こえるのは野川のせせらぎだけ。時々大きな飛行機のエンジン音が聞こえるが、雲の中で機体は見えない、一昨日の浅間鼎談で、地元の物知りが最近米軍の6発エンジンの輸送機を良く見る様になった、と話していたが、その6発エンジンの輸送機か・・。同時にバタバタとヘリコプター音も聞こえるが、その大型輸送機を歓迎する為に飛び立ったヘリコプターか・・。 今度晴れた日に6発輸送機の写真を撮ってみよう。
公園にもコロナ以前の常の日常が戻ってきたようだ。この雨中、散歩をしたり、傘を差して歩いている人は、コロナ以前から毎日そうしていた人たちだろう。Coreな散歩者。以前は殆ど気が付かなかったが・・。
コロナ期間中の賑やかな時は、周囲の人々に引っ張られる形で、自分も頑張って歩こう、という気持ちも昂じたが、誰もいない中、一人で歩いていると、そうした元気さは萎えてしまう。人は矢張り、繫がりあってこそ元気になれる。今朝の幼稚園、会社も多分そうだろう。リモート勤務では元気は出ない。社内で上司にゴマを擦ったり、部下に指示したり、顧客先から虐められたり、帰りには仲間と赤提灯に寄る。そうした日常が人々を活性化させ、元気にさせる。
人は助け合い 憎しみ合い 愛し合い 成長し 死んでいく。よし、今月は30万歩、歩くぞ!