ちゃおチャオブログ

日々の連続

6.4(木・晴れ)柱の喪失。

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毎週木曜日はタイ語の日だった。木曜日の夕方は予定を入れず、早めに夕食を済ませ、7時前にはセンターへ行っていた。毎週木曜日の7時からは、タイ語があるという、自分にとっての義務的1日だった。そのタイ語サークルが解散してから、もう2年、3年になるか・・。くしの歯が抜ける様に、一人二人辞めていき、最後は一人になったが、それでも1年間は続けていた。だが、毎年3月の東センターでの団体更新時に、一人では団体としての認可が下りず、解散した。

やめた最初の数か月、毎週木曜夜のくびき、シガラミから解放され、自由の有難さを喜んだが、その木曜日のくびきも次第に忘れるようになったが、ただ時々、思い出すこともある。

人は何かのしがらみ、くびき、柱、Periodicalなルーティンワークがあった方が良いだろう。全くの自由だと野放図になる。これからリモートワーク、ホームワークが進んで来るだろうが、毎朝定時に起きて、月から金、或いは月水金と会社へ顔を出し、仕事をする方が、その人間の規律を保てることになるだろう。

自分は幸に毎日ブログを作成するという、Dairyなルーティンを唯一保持している。これが今の自分の毎日、日課になっている。タイ語と違って、これは誰が付いてこなくても、一人で出来ることだ。生涯の友としよう。

タイ語ももうすっかり忘れてしまった。浅はかなものだ。コロナ時、チェンマイの知人から数年ぶりにメールが来た。最後に分かれてからもう10年は経っているだろう。よくぞ当方のメルアドを覚えていたかと、驚いたが、本人は大きくなったら日本に来たいと言っていたので、大事に保存していたのだろう。当時は高校生だったが、今はもう大学生か社会人か・・。メールには何も書いてなかった。こちらからも当たり障りのない返事を出しておいた。・・チェンマイ、もう一度行って見るのも冥途の土産になるか・・。10年の歳月に驚くだろう・・。もう既に結婚していて、小さな赤ちゃんもいるかも知れない。

タイは、殆ど全土を旅行した。タイのあちこちが思い出される。我が青春の一コマか。青春はもう取り戻せない。良い青春だった。親に感謝しなくては。

 

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