ちゃおチャオブログ

日々の連続

8.9(日・晴れ)長崎原爆の日。

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75年前、広島で人類史上で最初に投下された3日後の今日、2発目の原爆が長崎に投下された。人類に投下された2発の原子爆弾。その後幸に75年間、3発目は未だ投下されていない。今日の長崎市長平和宣言にあるように、長崎が人類最後の被爆地であって欲しいとは人類共通の願いだろう。

長崎は過去数回訪問した。30数年前、最初に訪問した時は、大浦天主堂の後ろに広がる平和公園に行き、西村聖望の平和記念像を見た。これは何か芸術作品と言うよりか、武骨な力強さを感じさせられるものだった。それ以前に、公園に入る前に見た大浦天主堂の綺麗に再築された赤レンガの教会を見て、それまでの無残なイメージと違って、その上品さに、この建物が一度は原爆で破壊されたのだとは、なかなか想像できるものではなかった。何か、原爆とのちぐはぐ感。平和公園にしてもあるのは平和の像だけで、原爆の惨禍を残すものは見当たらなかった。

広島では平和公園の一番奥に原爆ドームがあって、この建物が原爆の激しさを想像させる唯一のものであったが、長崎ではそうした原爆遺産を見ることができなかった。この大浦天主堂のように、市内は原爆とは関係なく国際観光都市としての発展を遂げていた。広島にしても、原爆ドームを一歩出たフラワー大通りには、近代的な大都市の姿があった。

人々は原爆の最初の都市と最後の都市、としての歴史認識はあるとしても、街の再生に関しては、極力原爆を離れ、忘れ、それとは関係のない平和都市の再建に努力し、今日の繁栄を見ている。

1発の投下で10数万人を殺傷する原爆。更にその上の水爆なら100万人以上を殺傷する。東京都心部に落とされたら、瞬時に1000万人を地球上から蒸発させる水素爆弾。人々はこの異常性に怖れ、驚愕し、75年間封印し続けてきた。長崎市民が願うように、人類最後の被爆都市と願うのは当然のことだが、人類の進歩の上で、それが担保されるとは限らない。長い人類の歴史の中で、いずれ第3、第4の都市が出てくるかも知れないが、この先人類が1000年後まで生き延びて行くとしても、この広島、長崎の都市の名前は人類の記憶の中に留まり続けるだろう。この二つの都市の惨禍は、人類が乗り越えてきた進歩の一過程として。

平和の像は一度しか見ていない。原爆ドームは2度見た。今度又行く機会があれば、何はさておいても、この二つの記念像を訪問しよう。そして改めて1000年先の人類の未来像を想像してみよう。

 

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