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日々の連続

愛媛(伊予一国)ドライブ巡礼(44)四国霊場第五十一番石手寺に向かう。衛門三郎のこと。

国宝の石手寺山門。この寺の命名には興味深い歴史事実がある。

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今回巡礼のハイライトの一つ石手寺にやってきた。国宝の山門を境内から見る。

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石手寺の大きな本堂だ。これも又重文指定されている。

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本堂の横には大師堂がある。

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繁多寺の参拝を終えて、これから向かうのは今回巡礼のハイライトの一つ、石手寺だ。この寺は道後温泉の直ぐ北側にあって、温泉湯治客が歩いても来れる近い場所にある。郊外のお寺から段々賑やかな市中の道路に入ってきて、少し走ると正面に深い森が見えてくる。ここも又深い木立に覆われた由緒あるお寺だ。駐車場の場所が分かりづらく、道路を隔てた向かいにあるローソンの広い駐車場に車を止め、店員に一言挨拶し、寺に向かう。

石手寺とは、平安時代の初め頃、この地を治めていた領主河野氏に子供が生まれ、この寺で祈祷を受けたが、その時、握っていた手の中から小石が現れ、そこには衛門三郎再来、との文字が書かれていた、とのことである。何かの瑞兆だ。そこでこの寺は今までの名前、安養寺から石手寺に改められたとのことであるが、ここに出てくる衛門三郎とは、四国巡礼者なら誰でも知っている名前である。スペイン巡礼者が目指すサンチャゴの大聖堂サンチャゴデコンポステーラがあるが、それは聖サンチャゴを顕彰する聖堂であって、キリスト教者なら誰でもサンチャゴの名前は知っている。衛門三郎は巡礼者にとっては、それと同じだ。

昨日浄瑠璃寺から八坂寺に巡礼したが、そこに衛門三郎の里、との観光案内板が出ていたが、衛門三郎はその辺りの豪農だった。ある時巡礼僧がこの家に立ち寄り、托鉢をしたのだが、ケチで欲深な三郎は追い返してしまった。その巡礼僧は翌日、翌々日とやって来たが、その都度追い返され、しまいには持っていた鉢が叩き落され、粉々に砕けてしまった。実はこの僧は弘法大師だったのだが、その後、三郎の子供8人が次々に亡くなり、8年後には皆死んで誰もいなくなった。

意気消沈している衛門の夢枕に大師が現れ、この巡礼僧が大師だったとその時に分かったのだが、亡くなった子供はもう戻らない。深く悔悟した衛門は田畑を売り払い、使用人に分け与え、妻とも離縁して、一人大師を求めて巡礼の旅に出た。20回巡礼しても大師とは巡り合えず、今度は逆順で回った処、阿波焼山寺の途中で大師と巡り合い、死ぬ直前だった衛門は大師に嘗ての非道を悔い改めたとのことである。その時大師から死ぬ直前の衛門に握らされた石が、翌年、河野家に生まれた子供の左手に固く握りしめられていたとのことである。全く不思議な因果応報の話である。この寺はそうした歴史を秘めている由緒ある寺なのだ。

 

重文の三重塔だ。

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  • カーリー帝、鬼子母神

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  • 配置図がないので、良くは分からないが、ここにも又何かの記念物が収められているようだ。

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  • 大師堂の横に掲げられている二人の聖人。

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