ちゃおチャオブログ

日々の連続

愛媛(伊予一国)ドライブ巡礼(50)松山城へ登る。

今日最後の霊場円明寺からホテルに戻り、これから松山城に向かう。

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路傍に正岡子規の句碑が立っていた。「杖によりて町を出づれハイネの花」。散策集の最初の句。

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ケーブル乗り場の直ぐ横には東雲神社の境内があった。

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歩いて登ろうかとも思ったが、足が相当に疲れていて、リフトに乗って登城する。

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お城が近づいてくる。天守か櫓か・・

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本日最後の巡礼寺円明寺からホテルに戻ったのは3時。松山城はホテルの直ぐ裏にあり、これから行っても時間は充分ある。ホテルで一服し、歩いて城へ向かう。ホテルからリフト乗り場までは歩いて10分程度だ。城の裏側、市内の住宅地を横切って向かう。ふと道端の石碑に気が付く。子規の句碑だ。正岡子規は松山出身、漱石の同窓で親友だったのだが、結核を患い、35歳の若さで亡くなった。明治の頃の医学事情では結核は不治の病だった。結核と分かり、郷里の松山に戻ってきて、漱石と一緒の愚陀仏庵で下宿生活をしていたが、病状が徐々に改善し、外を出歩くことも出来るまでに回復した。この道端の句はその時のもので、明治28年9月、彼の「散策集」の最初に出ている句。「杖をよりて町を出れハ稲の花」。ステッキではなく杖、稲の花は殆ど目立たない。

 

松山は彼の出身地だけあって俳句は盛んだ。俳句の町としても知られている。以前来た時は、街の所々に俳句の投稿ポストがあって、自分もいたずら気分で何句か投稿したこともあったが、今回の巡礼ではそうしたポストには気が付かなかった。今テレビ俳句で大人気の夏井なつきさんも愛媛出身で、彼女の生地は最初の日に訪問した愛南町愛南町のどこかまでは知らないが、合併前の西海町の沖合には紫電改が墜落していた。「西海に沈む夕陽紫電改」。そんなことを思いながら、お城を縁取りするように、数百m歩くと、城山に向かって東雲神社の大きな参道が見え、その先にリフト、ケーブルの乗り場があった。

 

この城に来るのはほぼ30年ぶりだ。30年ほど前、最初にこの町にやって来た時、この城と道後温泉、愚陀仏庵に松山駅前のぼっちゃん電車ロータリー。その時は大手門の所から歩いて登城した。その横に短い距離のケーブルカーが出ていたが、今はこちらに場所替えしたようだ。コロナ禍の中、受付でマスクを求められた。ホテルに忘れてきたと話したら、係の人が1枚貸与してくれた。客は自分以外には誰もいないが、そういうルール、リフト、ゴンドラに乗るにはマスク着用が義務付けられているようだ。リフトに乗って30年ぶりにお城に上がる。お城が段々近づいてきて、天守閣の一部が見えて来た。ほんの5-6分で到着。そこから又5-6分歩いて本丸広場へ登るのだ。全体がかなり様変わりしている。Renewalされているのだ。30年の間にはバブルの隆盛とバブルの崩壊、その後の長い低迷を経て、今があるのだ。さあ、本丸はどのように変化しているか・・。

 

ここから見る石垣も相当なものだ。

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150mの小山の上に建つ堅牢な城だ。

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リフトの終点は本丸の直ぐ下。これから5-6分歩いて登る。

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櫓の一部が見えて来た。

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この門の先が本丸広場だ。

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ああ、天守閣が見えて来た。

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最後の門を潜る。

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