ちゃおチャオブログ

日々の連続

愛媛(伊予一国)ドライブ巡礼(83)帰京の朝、弘法井戸を見に行く。

帰京の朝、西条港へ弘法水を見に行く。

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弘法大師に守られた西条港。

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静かな港だ。

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弘法井戸は港に突き出た突堤の先にあった。

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ああ、弘法井戸だ。

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昨夜は居酒屋「山長」で美味しい西条の酒「石鎚」と地魚の刺身を頂いたのだが、間口1間程の見た目は小さな入り口だが中は案外広く、30-40人程は入れる店で、テーブル、奥座敷の席はほとんど埋まっていた。自分が入った時は誰も座っていなかったカウンター席も刺身が出てくる頃には隣に肩を接する程に混んできて、折角の美味しい料理やお酒も、隣の人に遠慮して、スマホで写真を撮ることもできず、そのまま帰ってしまった。今思うと、残念なことである。いずれにしても、本家本元の西条の酒が広島なのか、愛媛の石鎚なのか、自分にはどちらとも判断つきかねるが、どちらも美味しい酒で、甲乙つけ難し、自民党の総理総裁分離ではないが、ここでは広島産を本家、愛媛産を本元とすれば、双方に花を持たせることも出来るだろう。

夜の早い田舎町、駅までの数百m、歩いている人は誰もいないが、駅までやってくると、駅前ロータリーには、沢山の車が駐車していて、又、かなりの人が駅の改札口に向かって立っている。何事が起ったのかと、しばらく様子を見ていると、今治なのか新居浜方面からなのか、電車がやってきて、沢山の高校生が改札を出てくる。ああ、その高校生を迎いにやってきている親なのだ。夜遅くに遠方の高校から電車通学で帰って来る息子や娘を毎晩こうして親のどちらかが、駅まで迎えに来ているのだ。何か話しながら車に乗り込む親し気な親子もいれば、そのまま黙って車に乗って走らせる親子もいる。高校で面白くないことがあったのかも知れないし、無言の挨拶がその親子にとっての日常かも知れない。生徒も親も毎日大変なことだが、良い大学、進学先を目指すのには、毎日こうした親子のたゆまぬ努力が必要なのだ。自分も高校、大学進学に当たっては親に多大な経済的負担をかけたことを今更ながらに思い、感謝した。

昨夜は自分一人の貸し切り温泉で、1週間の巡礼を振り返り、今朝はまた貸切温泉に入って、旅の最後を楽しむ。今回の巡礼では道後を初めてとして、何か所かの温泉を楽しめた。瀬戸内の活魚と共に、良い思い出になった。朝食前の1時間、西条港の海中から噴き出る弘法の井戸を見に行く。弘法水。不思議な井戸だ。1200年も前、弘法大師がこの地を訪れ、海岸近くの地面を錫杖で突いて、井戸を掘った。それから約1200年、その場所は海中に沈んでも、今も尚こんこんと清水が吹き上げている。1000年経っても枯れない井戸。石鎚山からの地下水脈が、強い水圧で、今は海中に沈んでしまっても、海水を押し分けて吹き上げている。見ていると近所の人だろうか、ポリタンクを持ってきて、清水を満タンにし、持ち帰っていく。何百年と続いているこの町の水汲み風景だ。お大師さんは何年経っても町中に生きている。

港の周辺を一渡り車を走らせ、ホテルに戻り、朝食を食べる。最後の朝食。お風呂も朝食も、これで最後だ。午後の飛行機の時間にはまだ大分早いが、途中石鎚神社にも立ち寄りたいので、ホテルをチェックアウトする。もう東京に帰るだけだ。26ケ寺十分お参りし、南予東予、宇和、西予、観光も十分し、魚も存分に食べた。後は事故もなく空港に戻り、無事にレンタカーを返却するだけだ。さあ、最後の100キロ、気を抜かずに空港まで走らせよう。

 

海中からこんこんと沸く、不思議な泉、聖水だ。

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1200年前、弘法大師が錫杖で開けた穴から噴き出た泉は、海中に沈んだ今もこんこんと沸き出ている。

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弘法水の突堤に向かって帰って来る漁船。

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今朝水揚げされた魚類が、弘法水近くの卸商から全国に配送されていく。

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さて、最後の朝食を食べるとしよう。

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