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日々の連続

四国霊場最後の巡礼(8)雲辺寺毘沙門天像展望塔からの眺め。

雲辺寺を後に、裏山の毘沙門天像に向かう。

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毘沙門天像は巨大な立像だ。

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内部はループ状のスロープになっていて、車椅子でも上に上がれる。

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  • 高さ6-7mの塔の上からは四国内陸部の山並みが見える。この方角に石鎚山がある筈だが、特定できない。

    f:id:commodore:20201124185404j:plain左手、こちらの方向は剣の方角だ。

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  • 戦国末期の土佐の梟雄長宗我部元親は戦いに長けていて、土佐一国を平定してから、次々周辺の阿波、讃岐、伊予に攻め入り、多くの寺社を破壊し、放火した。ただそんな中でも難を逃れた寺社も幾つかあり、その一つがこの雲辺寺だ。何かこの雲辺寺の住職とは気が合い、長曾我部がこの寺の裏山から四国の山中を眺め、四国制覇の夢を住職に語ったが、住職はそれを諫めた。その時の問答集が現在もこの寺に保管されていて、今それは重要文化財となっている。

  • 納経所で若い寺僧に話を聞くと、その裏山に立つ毘沙門天像は展望塔になっていて、内部にも入れるとのこと。ロープウエイ駅には少し回り道になるが寄ってみる。お寺からは少し高台の場所にあり、緩い傾斜の遊歩道を上がって行く。毘沙門天像は遠くか見ても巨大だったが、間近に見ると、更に大きく天を衝く。高さ10m程の展望塔の上に立っているから更に高く見える。棟の内部はスロープ状にループ回転していて、車椅子の人でも登れるようになっている。ビルで言えば3階建て位、ループを2回転した辺りで外の展望フロアに出ることができた。

  • 寺僧の言う通り、展望塔の上からは360度の展望が開けていた。四国の重畳たる山並み。500年前、長曾我部がこの場所から幾重にも折り重なる山並を見て、四国征伐の欲望に駆られたのは納得できた。前方遥か左手方向に小高い山並が見えるが、剣山の方向だろう。この山は今から18年前(2002年)の5月に登った。山頂直下の窟に安徳天皇の宝剣が隠されているとの伝説の山だ。山の中腹には平家落人部落もあり、麓近くには吉野川源流の大歩危小歩危もある。高さは1955mあり、四国では、いや、西日本では、石鎚山に次ぐ高い山だ。右手の方向にはその石鎚が見えるはずだが、遠すぎるのか、又同じような山並が続き、石鎚は特定できなかった。

塔の反対側に回ると、眼下は瀬戸内と海岸線の町村だ。目の良い人なら本土の街並みも見えるかも知れない。前後左右雄大な光景を見ると長曾我部ならずとも野心ある戦国武将なら天下統一の夢を見るかも知れない。毘沙門天は正に四天王の一人の武将。多聞天とも呼ばれ、多門は人の名前にも使われていて、山口多門、前田多門、等々、皆歴史的な業績を残している。塔の間近の直ぐ下は、伊予三島の方から上ってくるスキーリフトの山頂駅になっていて、今は雪も無くスキー客はいないが、大きなブランコが置いてあって、ここへ遊びに来たらしい数人がブランコに乗って遊んでいた。「天空のブランコ」だ。自分はそこまで行ってブランコへ乗るほどの酔狂はなく、そのままロープウエイ駅に戻り、寺を後にした。

 

この尖った山が剣山かも知れない。

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  • 反対側は瀬戸内の海が遥かに見渡せる。

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    • 塔の直ぐ下は、伊予三島の方からのスキーリフト山頂駅になっている。天空のブランコも見える。

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      • ロープウエイ山頂駅から金比羅山の方向を見る。

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        次のロープウエイに乗って下山する。前方の町は三豊市だ。

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