ちゃおチャオブログ

日々の連続

11.25(水・曇り)三島由紀夫後の50年。

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あの事件は衝撃的だった。自衛隊市ケ谷台の司令官室の外のバルコニーに立って集まってきた自衛隊員を前に渾身の熱弁を振るい、その後部屋に入って恰幅自殺した。森田必勝が介添え役で、打ち首にした。50年前の今日で、衝撃的なニュースは日本中を駆け巡った。元々三島がここの場で自決する積りであったのかどうかは、遺書がないので不明だ。ただ2階のバルコニーから決起文を自衛隊にばら撒き、自衛隊員の奮起を扇動したが、皆冷ややかな態度で、中には冷笑する隊員もいた。彼の落胆の気持ちは強かっただろう。

この1年程前、川端康成が日本人初のノーベル賞作家となった。三島は当然自分が最初のノーベル作家になる筈だと自負し、国民の多くもそう見ていた。しかしノーベル選考委員は三島の精神性よりも川端の東洋的な美を選んだ。川端も多分苦慮していたのだろう。その半年後、鎌倉の自宅で自殺した。

三島がこの川端の自殺に誘発されたとは思えないが、影響はあったかも知れない。それが余りにも突然だったのは、彼の最後の書作豊饒の海が最終の章、五人五衰の最終場面に差し掛かっていたが、最後まで書ききらずに、遺作となった。主人公の弁護士松枝はのぞき見が趣味で、最後はその趣味に回帰した。それは三島の最初の小説、仮面の告白と同じ構図だった。

彼が限界を感じ、自決に至ったのは、自衛隊員に見る戦後日本人の精神の堕落、腐敗を絶望したとも言われているが、自分には真の決意の程は分からない。

50年前、自分はまだ24歳であったが、三島の美文調の小説には好んでいた。だから彼が当然最初のノーベル賞作家になると思っていた。この事件の直後、当時中野に住んでいた自分のアパートに何人か集まり、三島論を戦わせた。中に2つ先輩の上智出身の男がいて、半狂乱のような興奮ぶりだった。あれから50年、あの男ももう生きてはいないだろう。45歳で死んだ三島。もしも彼がまだ生きていれば95歳。義兄が91歳だから、生きていてもおかしくない。

 

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