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日々の連続

四国霊場最後の巡礼(17)第七十一番大本山弥谷寺に参拝。

仁王門を過ぎ、賽の河原辺りの参道。

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剛拳菩薩の少し先に大師堂、岩屋が見えてきた。

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この中の岩屋で大氏は10歳の頃修業し、又後に護法も修した。

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先にここから更に上にある本堂に向かう。

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本堂に向かう108段の階段。

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日本三大霊場の一つ弥谷寺は、元々は聖武天皇の勅願により行基菩薩が開基したものだが、弘法大師も10歳の頃この寺の洞窟で修業し、後、唐からの帰朝後も岩屋で護摩を修し、五鈷鈴と五柄の剣を納め、その後この寺の山号が五剣山と呼ばれるようになった。真言宗善通寺派の寺ではあるが、大本山の寺格を持っている。四国霊場八十八ケ寺の中で、大本山、別格本山の寺格を持つ寺が何ケ寺あるかは知らないが、いずれにしても数少ないだろう。

弥谷山自体は400mにも満たない山だから、恐山の半分ほどの高さで、それ程深い山ではないが、長い歴史を持っていて、仁王門から続く参道は前後に他の参詣者もおらず、霊感が強まる。ここから先大師堂直下の金剛拳菩薩までの石段は凡そ270段あって、賽の河原と呼ばれている。確かに参道の横を沢が流れていて、賽の河原と言えないこともない。この賽の河原の正面に大きな菩薩像が立っていて、それは高さ6m程の金剛拳菩薩で、江戸時代の元禄年間の建立という。

菩薩の前が小広場になっていて、ベンチなども置いてあって、ここで一休みし、更に少し登った先が大師堂兼主務所で納経所もその中にある。本堂は更にこの上にあって、108段の直線階段を上って、更にその先の石段を登った先にある。若い元気な人なら好いが、足の弱った高齢者には中々大変な参道だ。108段の直線階段を見ただけで諦めの気持ちをもつかも知れない。自身も一瞬は躊躇した。果たして登り切れるか・・。この階段の直ぐのスタート地点に鐘楼があり、先ずは参拝の鐘を撞く。鐘の音が山中に響き、取り敢えずは元気をもらい、本堂へ向かった。

最上段の本堂までは570段の石段があるが、その途中には樹木に覆われた薄暗い場所もあり、そこには水場の洞窟とか、三尊摩崖仏、護摩堂などの法堂もあって、この寺の長い歴史を感ずる。本堂の直下が見晴らし台になっていて、そこからは眼下に三豊平野、その先の瀬戸内海、場所はどこか特定できないが、父母が浜などもある筈だ。残り十数段の石段を登り、ようやく本堂に到着。ご本尊、千手観音菩薩オンバサラタラマキリクの真言を唱える。

 

階段の直ぐ横にある鐘楼。鐘を撞き、ほっとした。

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108段の階段を上った先の本堂に至る途中の御堂。

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途中には、水場の洞窟、三尊摩崖仏等もある。

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本堂直下の見晴らし台からの眼下の景色。

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    • 漸く本堂の庇が見えてきた。

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