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日々の連続

四国霊場最後の巡礼(29)第七十五番札所総本山善通寺に参拝。

善通寺東院の金堂(本堂)。重文。

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本堂の前にある五重塔。重文。

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五重塔の右後ろには南大門がある。

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  • 西院に向かう手前の五百羅漢像。

    f:id:commodore:20201218220329j:plain東院から西院に向かう途中の仁王門。

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ここ善通寺真言宗善通寺派の総本山である。真言宗には18会派があり、真義真言宗とか御室派、智山派等々ある中の一会派総本山ではあるが、この寺は高野山、京都東寺と共に、弘法大師の事績を伝える三大霊場となっている。その18会派には各会派毎に総本山・大本山があるが、ここはその18総・大本山を巡拝する一番札所になっている。今は大型バスは止まっていないが、これ程広大な駐車場を備えているのは、矢張り全国から檀信徒が集まって来るからであろう。今はコロナ禍で参拝する人も少ないが、それでも同じ法衣を着た一団が境内のここかしこに見られた。

駐車場から済世橋を渡って最初に目に付いたのは東院にある五重塔で、先ずはその東院へ向かった。ここの五重塔は昨日見た本山寺のよりも一回り大きい。明治期に建造されたものだが、芸術性が高いのか、早くも重文に登録されている。ちなみに八十八ケ寺の中で五重塔があるのは、僅かに4ケ寺で、内3ケ寺はここ讃岐に所在している。他の一つは空海修行の地最御崎寺であり、阿波山中の鶴林寺は三重塔である。奈良時代聖武天皇の勅令により建立された各地国分寺には多くの寺に五重塔が併設建立されていたが、四国四か国に現存する国分寺には、そのどこも五重塔は併存されていない。五重塔建立にはそれなりの財政力と技術を要するもので、時代が下るに連れてそれ等も失われ、減少して行ったのか・・。

本堂(金堂)は1m程盛り土をした基壇の上に建てられていて、3段程の石段を登って堂内に入る。ご本尊は薬師如来で、薄暗い中に丈六、約3mの大きな座像が鎮座していた。堂内には他に参詣者もなく、仕切りもなく、間近に近寄って見ることもできた。ガラスの玉眼は透き通っていて、慈愛があるというよりも、自分の心の汚れを見通されているようだった。以前の本堂は戦国の兵火によって焼け落ち、これは元禄時代に再築されたものだが、重文に指定されている。この本堂の脇に記念品などを売る窓口があるが、コロナ禍で参詣者も少なく、外から見た限り、事務所内に人がいるかどうかも不明だった。

五重塔の脇には天然記念物の大楠が高くそびえ、その先に南大門が見えたが、遠方から眺めるだけにして、西院に向かった。東院と西院を分ける小さな小川があり、廿日橋を渡って西院に入る。この二つの霊場は明治の初めまで別々の寺院だったが、明治の初めに1カ所の霊場として善通寺となった。それまでの西院は誕生院と呼ばれていて、この橋は毎月二十日のみに通行でき廿日橋と呼ばれた。名前の通り西院は大師誕生の場所であり、大師堂(御影堂)こそが誕生の場所と言われる。その前には小さな水場があり、そこが産湯を使った跡と言われている。本堂に匹敵するような大きな建物で、この地下には戒壇巡りがある。自分は先を急いでいたので、戒壇巡りはしなかった。

大師堂の前には鐘楼があって、鐘を打ったが戦後の、ここ数十年前の鋳造で、総本山には少し似合わない、重々しい音色ではなかった。その鐘楼の少し先に納経所があり、五岳山善通寺の御朱印を頂いた。その横の綺麗な水洗トイレで用を足し、再び元来た済世橋を渡って駐車場まで戻る。この川は先刻見た甲山寺の前を流れていた川の上流部に当たる。多分、少年真魚泥鰌を取ったり、タニシを取ったりしていたに違いない。今は河原は綺麗に整備されていた。駐車場には先刻見なかったバスも駐車していて、コロナ禍とはいえ、それなりに団参客がやってきているのだろう。目の前に史跡香色山が迫ってきていたが、残念ながら今日は行けない。少しでも先の霊場を巡らなければ・・。

 
仁王門には善通寺の扁額が掛けられている。

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南北朝時代の仁王像。

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  • 運慶快慶の流れを汲む奈良仏師の作か・・。

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    西院大師堂(御影堂)。大師誕生の場所だ。

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    戦後に造られた鐘楼。それ程重々しい音色ではなかった。

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    大師堂と光明殿を結ぶ渡り廊下。

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    ああ、漸く団体ツアーがやってきた。

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