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日々の連続

四国霊場最後の巡礼(32)第七十八番札所郷照寺参拝。

宇多津の町の高台にある郷照寺からの眺め。遠くに瀬戸内も見える。

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郷照寺本堂。この左手の奥に大師堂、庚申堂などがある。

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この通路の正面に大師堂が見える。

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左手、書院の裏の庭園は見事だった。

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郷照寺書院。

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多度津道隆寺からは一旦丸亀の市街に入り、土器川という如何にも古い土器などが出てきそうな川を渡って宇多津の町に入り、少しばかり賑やかな宇多津駅前を通って住宅地の道を入った先に、次の霊場第七十八番郷照寺があった。駐車場は少し高台にあり、そこからは宇多津、丸亀の街並みと、その先の瀬戸内が見晴らしよく眺められた。

この寺は当初行基菩薩が阿弥陀如来をご本尊として、道場寺として開基されたが、その後、空海がやってきて、自身の像を彫って「厄除け大師像」とし、以後、人々からは「厄除けうたづ大師」の寺として信仰されてきた。宇多津は丸亀と坂出に挟まれた港町で、古来より栄え、四国の玄関口とも言われていた。従って古来より人の往来は頻繁で、空海の後からも、先刻道隆寺にも足跡を残した理源大師がこの寺で修業し、その後も恵心僧都源信が釈迦堂を建立したり、更にその後、浄土教時宗開祖の一遍上人が長らく逗留し、踊り念仏の道場を開いた、とのことである。

この寺も戦国の兵火によって荒廃衰退し、江戸時代になって高松藩松平家の援助により本堂、堂宇が再興され、この時点で従来の真言宗に加え、時宗の寺ともなった。又それまでの道場寺の名前は今の郷照寺と変更された。八十八ケ寺の中で、時宗の寺はここだけである。一遍上人以来の念仏道場の名前は無くなったのだ。

踊り念仏と言えば、先月知人3人と長野の上田の温泉に湯治に行ったが、一遍上人は長野善光寺に向かう途中の、この佐久平、御代田にて初めての踊り念仏を行い、それ以降全国での踊り念仏、南無阿弥陀仏、の称号を唱え、遊行したのだが、この宇多津の道場寺は、生まれ故郷道後への途次、立ち寄ったのだろう。一遍上人が民衆を集め、念仏踊りをしたのは、境内のどこだったのか案内もなく、そこに佇むことはできなかったが、この寺の書院の裏にある庭園は見事なものだった。室町時代の京都の庭園のミニチュアサイズの趣もあり、暫し見とれた。

 

京都の庭園を思わせる池遊式庭園。

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後ろの山、仏光山を借景にして、見事な庭園だ。夢想疎石、小堀遠州を思わせる。

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境内の周辺も奥ゆかしい。

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駐車場から遥かに瀬戸大橋も見える。

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この周辺の案内図。坂出は直ぐ隣だ。

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