昨日のNKHファミリーヒストリー、大河ドラマ「麒麟が来る」で好演している長谷川博己の話だった。彼は出雲の玉造温泉の名家の出身で、父は多摩美の教授だった。息子と同年だが、良い役者に成長している。家柄の違いか・・。
丁度その前の日の日曜日、「麒麟が来る」の放送日で、明智の妻煕子が死んだ。死んだあと、琵琶湖西岸の坂本にある西教寺に葬られた。自分も以前この寺を訪れたことがあった。芭蕉も同様にこの寺に来て、住職から明智の妻煕子の話を聞いた。その時に作られた句が、
「冬さびて 明智が妻の 咄(はなし)せむ」
だった。
一昨日のTVの最後にもこの句が出ていた。明智の妻の立派さ、偉さ、主人の光秀が零落の身となった時に、自身の髪の毛を切って糊口をしのいだという。光秀の最後を見届けずに先に逝ってしまった。娘のお玉、後のガラシャ。
冬の寒い夜、芭蕉と和尚はどんな話を交わしていたのだろうか・・。