ちゃおチャオブログ

日々の連続

12年ぶりの石垣島(9)石垣市にある竹富町役場。

12年前の石垣島離島フェリーターミナルは、こんなに賑わっていた。

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多くの島民、観光客が出航を待っていた。

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乗船する人も溢れていた。

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海保第七管区埠頭に向かって歩いて行くと、途中に竹富町役場のバラックがあった。

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この話は昔から有名なことで、今から50年ほど前に出版された司馬遼太郎の「街道を往く」の中にも記載されていることであり、自分も12年前この石垣島を訪ねた時、この場所を訪ね当てた。それは竹富町役場が、このフェリーターミナルからすぐ目の前にある竹富島にあるのではなく、ここ石垣島石垣市の中にあることだ。司馬もその本の中に書いてあり、言われてみればそれは当然のことで、最も合理的な話ではあるが、12年前にやってきた時には、少し奇異な感じはした。自分たちの町役場が余所の市の中にあると。

 

八重山諸島の中で、与那国、大東島以外の10数個の島は、皆竹富町の行政区域に入っている。各離島間の公共交通機関は、ここ石垣離島ターミナルを発着するフェリーやスピードボートによるものであり、離島間を行き来したいのなら、昔だったら手漕ぎのサバニ、それは内地の伝馬船のようなものだが、それと最近ではモーターボート、スピードボートなどが一部金持ちの足にはなっているが、全員が皆持っていると言うわけではない。そこで島民が何かの用事で町役場に行くとすれば、役場が石垣島以外の場所にあったら、大変な不便と苦労になる。離島でバラバラに生活している町民の共通の利益とすれば町役場が石垣島石垣市にあることだった。

 

当時とすればやむを得ない町民、島民の選択だったのだ。ただ不思議なのは、竹富町が戦後直ぐにスタートし、爾来70年以上にはなるが、その間、石垣市との合併問題は起きなかったのか・・。昭和の大合併、平成の大合併で、内地の各町村では競って大型合併が行われ、今では自分の知らない市名や初めて聞く名前の地方都市があちこちに生まれているが、ここではこの八重山群島全体を一つの市、石垣市なり八重山市とすれば、離島島民にとってはもっと便利になりだろうし、市町行政ももっとやり易くなると思うのだが、現実はそうはなっていない。そうはなっていない何等かの理由はあると思うのだが、自分には分からない。

 

第七管保係留バースに向かって歩いて行くと、途中にその竹富町役場があった。以前見た時とは、随分印象が違う。トタンのバラック造りだ。以前は立派な町庁舎だったのだが、何か、財政でも逼迫しているのか・・。いよいよもって、独立自尊は難しくなっているのか・・。1日も早い縁談を求めていても、市の方で袖にしているのか・・。このような冴えない庁舎。何か竹富の離島島民が哀れに感じられた。

 

今、どこか別の場所に新庁舎を建築中なのか、これが恒久的なものなのか・・。

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いずれにしても以前の庁舎と比べると、侘しい限りだ。

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これが12年前の竹富町役場。立派なものだ。

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今正に3隻、4隻の高速フェリーが各離島に向かって港を出てゆく。

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