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ホテルから程近い場所に尖閣列島開拓記念碑が建っていた。
尖閣列島は、今から150年程前、福岡出身の古賀さんが、最初に開拓したのだ。
ぶらぶら通りを歩いて夜の街に向かう。
ああ、こんな所にタイのツクツクが飾ってある。観光客がいっぱいの頃は、大いに活躍していただろう。
ホテルの部屋で一休みし、そろそろ夕方も近づいてきた。石垣最後の夕食と言った大袈裟なものではないが、どこかで夕食を取らなければならない。最初の夜に入った満腹亭の豊年満作が安くてボリュームたっぷり、石垣牛も美味しかった。もう一度そこへ行こうと、ホテルを出てぶらぶら町中に向かって歩いて行く。
今度は少し違った道順で行こうと、旧港にちかい海岸通りを歩いて向かうと、小さな公園のような茂みがある。その茂みの中に立派な記念碑が見える。・・何の碑だろう・・、と近づいて見てみると、何とそれは今から100年以上も前、福岡出身の古賀さんという人が、明治の早い頃、尖閣諸島を探索し、漁師を派遣し、羽毛等を採取していた。この古賀氏の偉業を称える為の記念碑だった。この記念碑自体は比較的新しく、今から25年程前に建立されたものだが、だが、この記念碑に注記されているように、日本人と尖閣との係わりは殆ど150年程前、明治の初期の日清戦争よりも前の時代から始まっていたのだ。当時、古賀氏は政府からこの島の30年間の使用許可を得ていたのだ。これからしても既に明治の中頃よりこの島は日本の領土であったことは明らかだった。
日本国政府就中外務省は、口では日本固有の領土、と叫んではいるが、具体的にこうした史実は明らかにしていない。今後はこうした歴史的事実を世界に公表し、この群島は従来より日本の領土であることを大々的にPR して行くべきである。それと、防衛大臣なり国交大臣は、沖縄を訪問する際は、本島だけでなく、ここ石垣まで足を延ばし、この記念碑の前で写真撮影に応じ、且つ、海保や与那国駐屯地を訪問し、保安官、自衛官を慰撫し、元気づけるべきと思う。今朝のトニーさんの新聞寄稿文にも確かそんなようなことが書かれていたと思う。長い歴史の中で、国防の最前線に住む島民は切実なのだ。
この町一番の夜の街、「おーりとーり」も開いている店は疎らだ。金曜日の夜がこんな感じでは、店はやってられない。県から4万円の給付金が出るようだが、トニーさんのようなジジババの店ならそれで十分だが、何人か従業員を抱えている店では、とても経営は成り立たない。満腹亭まで行ったが、注文は残り30分との事。それではゆっくりも出来ず、別の店を探すべく、夜の街をほっついた。