ちゃおチャオブログ

日々の連続

石垣再訪(18)遅いお昼をトニーの店で。

2月に続いて又トニーさんの店にやってきた。

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トニーさん、こと通事さん。80過ぎになるが、今でも現役で店を切り盛りしている。

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国防にも関心が高く、自衛官募集の連絡所にもなっている。

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トニーさんのヤギ汁ベースの八重山ソバ。山羊肉が頭に乗っている。

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ヤギ汁で、少し変わった味覚だ。

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伊原間から石垣までは直線距離でも50キロはあるだろう。海岸沿いの地形に沿って巡回する路線バスだと、100キロ以上は優に超えるだろう。伊原間を出たバスは朝と同じコースを戻って石垣に向かう。途中川平湾を通過し、お昼をここで食べようかとも相談したが、帰りの次のバスの時間も分からず、途中下車せずにそのまま石垣まで乗り続ける。同じ島の風景でも座席を替えれば又違った景色に見えてくる。路線バスを利用してのちょっとした島内観光だ。

 

石垣市内のバスセンターに着いたのはもう既に2時近くになっていた。ここから近い場所にある昨日のランチ店、浦崎に行くか、少し離れてはいるが、トニーの店に行くか、少し迷ったが、石垣にやってきて、一度も彼の店に顔を出さないのは申し訳ない。迷わずトニーの店に向かう。途中の「オーリトーリ」の前を通ると、通りの入り口にツアー客らしい10人程がガイドの話を聞いている。2月の時はこんな光景は見なかったが、4月に入って移動や旅行も少しは緩んできたのだろう。観光客が増えることは沖縄に取っても、石垣に取っもも良いことだ。コロナ感染は観光客が持ち込むのではなく、もっと地元の生活に密着した居住者、家族、県民自身が運んでくるのは自明の理で、学者も政治家もこの点を声を大にして、知らしめなければならない。

 

飛んだトバッチリを受けているのがトニーさんの店で、ここはいつ来ても無人の客だ。トニーさんが一人店内でぼんやりしている。尤も県知事のデニーさんから営業支援金日額3万円が支給されるので、トニーさんもデニーさんには感謝感激だ。時刻は2時を回っているが、今日は午前午後、バスに乗っていた時間が長く、お腹はそれ程空いていない。トニーさんには迷わず八重山ソバを注文する。自分は未だに八重山ソバと沖縄ソバの違いは分からないが、ここトニーさんの八重山ソバはヤギ汁がベースだ。普通の八重山ソバとは違って、変わった味わい。昼間ヤギ汁ソバを食べたので、夜又やってきて、ヒージャー汁を食べることもないか。でもトニーさんには又夜ヤギ汁を食べる来るよ、と言って店を出た。しかし実際には今晩も明日の晩も来ることはなかった。店が夜7時に閉店というのでは、とても来れない。トニーさんもデニーさんから3万円をもらう以上は、飲食自粛に従わざるを得ないのだ。

 

さて、遅いお昼を食べ終わっても時間はまだ2時半。さて、これからどこへ行こうか。具志堅用高のボクシングジムを見に行くのも良いが、いつも空港へ行く途中のバス通りで目にする八重山博物館へ行くことにした。ここは街の中心部からもそれ程遠くはない。行ってみると八重山津波の特別展をやっていた。江戸時代中期、明和年間に発生した大津波で、島内各地区の被害状況がパネルで説明されていた。30mを越える高波が島内各所を襲い、1万人以上の被災者を出した。当時琉球は独立国。石垣の人口の約3割が亡くなったとのことである。大参事だった。

 

お昼を食べてから近くの八重山博物館に向かった。

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今日は明和大津波の特別展が行われているようだ。

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江戸時代中期の明和年間、この島は大津波で甚大な被害を受けた。

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30mを越える大津波が各村落を襲った様がパネルで解説されている。

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この島は琉球王朝からの過酷な税の取り立て以外にも、こうした大きな悲劇にも見舞われてきた歴史が語られている。

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