ちゃおチャオブログ

日々の連続

石垣再訪(19)石垣八重山博物館にて。

八重山博物館の奥は常設展示室になっている。

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正面にはサバニなども展示されている。

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石器時代からの土器、石器などの展示もある。沖縄本島の港川人は3万年前の人とも言われている。石垣はもっと古いかも知れない。

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ここには本島のような強大な王国は無かったが、それなりの人の集まり、生活器具が発達していた。

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面白い面だ。琉球伎楽。これも又中国の影響だろう。

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バスセンターから石垣空港への行き帰り、バスはいつもこの前を通り、気にはなっていた八重山博物館。いつかは来てみたいとは思っていたが、今日波照間へ行けず、1日ぽっかり時間が空き、午前中は島の最北端伊原間まで行き、市内に戻ってきてからトニーさんの店で遅いお昼を食べたが、それでも夜までには大分時間がある。そこでこの機会を利用して博物館へ行くことにした。場所はフェリーターミナルからもバスセンターからも近い位置にある。丁度2月の時に入った大濱信泉記念館の背中合わせの場所になる。

 

石垣の歴史。内地からやってくる観光客は主目的は海や離島の観光で、この島の歴史には殆ど関心を持っていないだろう。忙しい旅行日程の中で、博物館に入る時間もないかも知れない。我々二人もたまたま今日は時間が空いて来ることができたが、そんなことも無ければここへ来ることも無かっただろう。静かな館内。我々二人だけかと思ったら、地元の中年の婦人が何人か連れだって入っていた。今日は大津波の特別展をやっているので、その当時の歴史を知るためのカルチャーツアーかも知れない。コロナ禍でどこへも出かけられず、今日は市内の博物館で教養を高め、その後はどこかでお茶の時間にするかのような初老の御婦人連だった。初老と言うのは失礼で、矢張り中年夫人としておこう。

 

石垣には悲しい歴史がある。自分は今回を含め都合4回石垣にやってきてはいるが、今の石垣にはそんな悲しさの片鱗も見えない。明るく朗らかな南の島だ。人々は過去の悲しい歴史を忘れ去ったかのごときだが、実際はその島民の血には脈々と流れ続けているに違いない。今は平和な時代で、表に現れてこないだけだろう。島民に取っては大津波以上に忘れることのできない悲惨な歴史だった。

 

江戸時代を通じ、石垣は上からの支配の二重支配の構図の中にあった。琉球王朝は鹿児島、薩摩藩の支配を受け、過大な税の負担に喘いでいた。その琉球王朝は過大な税を賄うために、辺境の地、首里から見たら半植民地のようなこの島から更なる税の取り立てを行った。所謂人頭税だ。この島で生まれた島民は成人に達すれば頭割りで税の負担をさせられた。逃げようがない。税から逃げる為には赤ちゃんを産まないことで、この島では妊婦の堕胎が日常的に行われていた。自分はまだ見たことは無いが、確か司馬の本の中だったかと思うが、この島では堕胎石なるものもあって、妊婦が溝を飛び越え、失敗するとお腹を石に打って、流産させられた。全くむごい歴史だ。

 

博物館の常設展示室にそうした記録の展示があるかと期待はしていたが、全く無かった。所謂表面の綺麗な歴史の流れが石器時代の古代から明治期に至るまで、この島での無味乾燥な歴史物が陳列されているだけだった。ただ1点1か所、博物館の入り口右手の木立の茂った薄暗い場所に人頭税石が目立たぬようにひっそりと立っていた。殆どの人は気が付かないだろうし、今ではもう忘れされた石柱に過ぎないだろう。

 

沖縄はお墓にしても、甕棺にしても立派なものが多い。

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綺麗な甕棺、骨壺だ。中国の影響を強く受けているのだろう。

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琉球人はあの世の世界を信じていたのかも知れない。

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貴族、大商人の嫁入り行列だ。

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どこの国、土地でもそうだが、ここでも又貧富の差は大きい。この婚礼行事、一体幾らのお金がかかったことか・・。しかし又一方で、文化の伝承と言う面もあった。

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