ちゃおチャオブログ

日々の連続

富士吉田五重塔と富士山(3)新倉山忠霊五重塔。

神社から5-6分車道を登った先に五重塔が建っている。

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撮影スポット台はヤンキーの男女に占領されていた。

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撮影スポット台はヤンキーの男女に占領されていた。

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浅間神社からは石段を登っていくのは今の自分には大変で、勾配が緩くなっている車道を歩いて五重塔へ向かった。神社からは歩いて5-6分ほど、今の季節には珍しい春セミの鳴き声の中登っていくと、木陰に朱色の五重塔が見えてきた。神社と五重塔。珍しい取り合わせで、普通、五重塔と言ったらお寺が専売特許だ。自分も全国かなりの数の大小様々な神社を参詣したが、境内に五重塔乃至三重塔を見たという記憶はない。この珍しい取り合わせは、全国広しと言えど、ここ新倉浅間神社しかないだろう。

考えてみれば各地神社には巨大な石碑で出来た忠魂碑が建立されている。どこの県にも必ず1か所の護国神社があるが、そこには必ず大きな忠魂碑が建っていて、明治以来の国に殉じた英霊が祀られている。ここ新倉浅間神社五重塔は正式な名前は忠霊塔という名前で、各地神社にある忠魂碑同様に、英霊を祀る塔なのだ。

真っ赤に塗られた忠霊塔。そう言えば以前安芸の宮島を訪ねた折り、厳島神社を見下ろす高台に朱塗りの五重塔があり、そこでは20年置きに塔の塗り替えを行っていて、自分が行った時は塗り替え直後のことで、朱色が殊に鮮やかだった。明治期までは神道と仏教が一緒になった神仏習合で、この五重塔別当寺のものだったが、今は厳島神社と一体になっているのか・・。神社の境内からはかなり離れた場所にあったが、宮島全体が厳島神社の神域とすれば、元々は神社のものだったのか・・。その後襲来した台風で、国宝の宴舞台などが水没し、神社は随分大きな被害を受けたが、あの五重塔はどうなったか・・

五重塔の直ぐ上に撮影スポットがある。この五重塔と富士山が一つのフレームに収まって、外人にも人気の場所だ。クリスチャンの白人には神社の参拝は関係ない。神社では見かけなかった多数の欧米人がこの撮影スポットを占領し、色々な角度から写真を撮っている。混雑混乱を回避する為に、このスポットへは一方通行になっていて、出口と入り口が分けられている。丁度上野公園のパンダ館と同じで、人々を順繰りに移動させ、1か所に滞留させない為の工夫だ。上野のパンダと同じようにここは観光客に取っての人気の場所なのだ。

その一方通行を登っていくと、前から白人が下りてきて、アメリカ人ですか?と聞くと、キューバからだ、との答え。ああ、キューバンボーイズ、とつい言ってしまったら、その中年の紳士、いや、ボーイじゃないけど、キューバ人だ、と苦笑いして通り過ぎて行った。このコロナ禍でキューバからやって来る観光客もいない。外交関係か政府関係の東京滞在者に違いない。撮影スポットはヤンキーらしい若者に占領され、色々な角度、アングルから写真を撮っている。タイ人でないのが残念だったが、それでもやはりここは日本人よりも外人に人気の場所なのだ。ヤンキーの集団が引き上げるを見計らって、自分もスポット台から、富士と五重塔の、正しく日本的なダブルショットを何枚か撮影した。

 

先程のヤンキーガール、下の段上からも熱心に撮影している。

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一人のタイ人にも会えなかったのは、このコロナ禍ではやむを得ないか・・。

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富士と五重塔をカメラに収め、一段上の展望休憩所に向かった。

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