ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(25)宿坊での勤行後朝食を戴く。

  • 宿坊での朝の勤行前、早目に本堂へ行き、暗い中で写真を撮った。

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後で本堂内の撮影禁止と知った。重文、指定需要品等多数あり、禁止は当然のことかも知れない。

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本堂の内廊下。正面が本堂。

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  • 本堂の外廊下。この本堂自体が重文か指定文化財だ。

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宿坊に泊ると朝の勤行を見学することが出来る。勤行とはお寺の住職がご本尊、ご本師に毎朝お経を上げることであり、それは宗派を問わず行われている。ここ清浄心院では6時から行われるとのことで、少し早目に本堂に向かう。本堂で待っていると、他の宿泊客二人も順繰りにやってきて、6時には寺僧も来てお経が始まる。そのお経の前後にシンバルのような真鍮の銅鑼を両手に持って、随分玄妙な音を奏でる。初めて聞く宗教音楽で、この2枚のシンバルで絶妙な音色を奏で、お経以上に惹き付けられるものがあった。

真言宗のお葬式は嘗て誰かの葬儀の際に経験はある筈だが、大勢集まる葬儀の場ではなく、早朝、3人だけで静かに聞き入るお経と銅鑼の音、初めて聞くような新鮮な思いで、聞き入った。他の二人も同様に身じろぎもせず、神妙な面持ちで首を垂れている。それぞれの思いの中で供養をしているに違いない。昨夜風呂に入った際に先客が一人いたので、宿泊は二人だけかと思っていたが、もう一人別にいたようだ。お風呂場の人は60代、今朝初めてみた人は40代。日帰りではなく、宿坊に泊るということは、どこか遠方から来ているのか・・。お互い目礼だけで言葉を交わすことも無く、経緯は全く分からない。いずれにしても奥の院に参拝し、宿坊に泊っているのは、何か心に期すものがあったに違いない。

今日は早目に食事をし、早立ちすると言ってあったので、勤行が終わったらそのまま食事の部屋に案内される。昨日と同じ部屋だ。昨日の3膳と比べたら、今朝は随分あっさりしたものだ。朝粥程ではないが、一汁一菜の感じ。これが本来の精進料理の基本かも知れない。そそくさと食事を済ませ、高野山ケーブル駅行のバスの時間を聞き、部屋に戻って荷物をまとめ、宿坊を後にした。

 

内門も見える。

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  • 本堂内庭だ。

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    昨夕と同じ部屋での朝食。

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今朝の精進料理は一椀一汁一菜のあっさりしたものだ。昨夕沢山食べたので、これで十分だ。

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