ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(28)高野山から下山途中の車窓風景。

電車は山のかなり高い場所を走っていて、眼下に谷底の集落が見える。

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この深い谷底にも人家がポツンポツンと見える。

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標高600m以上の場所からかなり急勾配の坂を下り降りていく。

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スイスユングフラウの登山電車もこれ程急峻な坂ではなかった。

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高野山は標高900m前後の峰々に囲まれた盆地の町である。盆地自体800mを越える標高の高い場所にあり、30数年前の春4月、初めてここへやって来た時、山の上の気温は低いだろうと、和歌山駅2階のショップでリバーシブルのパーカーを買ったが、そのパーカーは春秋の季節の変わり目には、今でも時々使ったりしている。高野山の町を歩いている限りでは、ここがそんな標高の高い場所とのイメージは沸かないが、この町の別名「八葉」は、この盆地を囲む峰々を八枚の蓮の葉に譬えたものであり、南紀に抜ける途中にある護摩壇山も標高は1300mを越える。先刻乗って来たケーブル上駅の高野山駅も867mの高さの場所にあり、高低差328mを一気に下り降りるが、下駅の極楽寺橋も尚540m程の高い場所にある。ちなみに東京の高尾山は600mに1m足りません。

 

南海電鉄高野山線は、この極楽橋からゆっくりゆっくり高度を下げて橋本まで下る。最初の駅が紀伊細川で、無人駅の下の方の谷底を見ると県道沿いに人家が数軒立ち並んでいる。電車からは谷川までは見えないが、多分この谷底に細い谷川でも流れているだろう。8月の山は緑濃い。家の近くには小さな棚田など見られ、昔から細々と、営々と畑作が営なまれてきたに違いない。地産地消。ここからは見えないがニワトリや山羊なども飼育されているかも知れない。

 

終点の橋本までは10幾つかの駅があるが、その大半は無人駅だ。そんな無人駅からでも一人二人の乗客が乗ってくる。谷底からこの駅まで登って来るのは大変で、駅の近くのどこかには駐車スペースもあって、車で登ってくるのだろう。今はもう少子化で児童生徒がこの電車を利用することもないだろうが、子沢山の昔だったら、駅も賑やかで、駅と谷底を結ぶ通学路も小中学高校生の往来もあっただろう。そういえば、この路線の下の方に「学文路」という無人駅があった。「かむろ」と読むが、これは難しい読みだ。聞いた話では、以前の高野聖華やかな頃、聖にまでは至らない学僧、これから修行を積む若い修行者等が高野山にも上れず、この辺りに集まって居を構えていたと聞いている。「学文路部落」だ。そうした幾つかの無人駅を通過し、山の上の方を走る電車から谷底の集落を眺めている内に、勾配も緩やかになり、九度山駅に着いた。

 

九度山、学文路に近づくに連れ、民家も増えてきた。

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線路の勾配も緩やかになり、橋本郊外の街並みも見えてきた。

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ああ、真田幸村所縁の九度山駅に着いた。ここは流石に有人駅だ。

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さて、橋本までは残り数駅。紀ノ川の段丘を走り抜けていく。遠くに紀ノ川も見えてきた。

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