ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(35)本州最南端、串本駅到着。

ホームには魚のような石碑が立っている。瞬間通り過ぎて、何の像か確認できなかった。

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漸く、串本駅に到着した。ホームの向かいには「本州最南端の駅」の看板が立っていた。

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串本駅前広場。田舎の駅だが、すっきりしている。

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本州で一番南の場所はどこか? と聞かれても、直ぐには思い出せないものだが、電車で田辺からやってきて、串本駅に着いた時、ホームの向かいの目立つ場所に、「本州の最南端駅」との看板が出ていて、ああ、そうだ、紀伊半島が本州の中では一番南にあって、その一番南の串本、更にその先の潮岬が本州で一番南に位置するのだ、と再認識した。本州はくの字を横にした形、或いは平らな鉄板の真ん中辺りを下に押し下げたような形をしていて、ここ串本が西の端、下関辺りよりは南になっている。

大学1年の夏、当時同級生になった名張出身の米沢君と知り合いになり、名張は確か三重県の筈だが、流暢な関西弁を話し、それまで関西の人との接点は全くなく、興味を持ち且つ親しく付き合うようになった。で、夏休みに彼の家に1泊し、自転車を借りて紀伊半島を1周する計画を立てた。今から50年以上の前の話だ。名張からは確か女人高野、室生寺の前の道路を通り、奈良に出て、そこからは紀ノ川沿いに和歌山まで下って、海岸線の国道をこの串本までやってきた。

当時の日本は今ほど豊かではなく、海岸沿いの民家も軒は低く、多くはみすぼらしい感じの家並だった。当初半島を1周すべく元気よくスタートしたのだが、その勢いは1日も続かず、この串本に来たのは二日目か三日目だった。もう足は棒のように疲れていた。記憶は定かではないが、この駅か又は次の勝浦かで自転車行脚は放棄して、電車に乗せて名張まで帰ったことがあった。

50数年前、一度は来たことのある串本だが、その時は向かいの大島を見、その前のごつごつした岩礁が間の海上に立っている情景を見ただけで、潮岬までは足を延ばすことはせず、そのまま名張に戻ってしまった。今回の旅行ではその時のリベンジではないが、是非、潮岬までは行ってみたいと。それと時間があれば、トルコ記念館も回りたいと思ってやってきた。しかし駅を出た時は既に3時を回っていて、潮岬もトルコ館もバス便は限られていた。行くことはできても、帰りが心配だった。今日は諦めて、今晩の泊まり、太知まで行こうかと思って明日の交通情報を得る為、駅に隣接されている案内センターに寄ると、何と、電動自転車を貸してくれるという。ああ、だったらその電動アシスト自転車で今日の内に回ることにしよう。

 

  • ああ、トルコ友好の町の大看板も出ている。時間があればトルコ記念館も行ってみたい。

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    • 駅を真っすぐ出た所に串本港がある。

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ここも有名な漁港だ。

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駅横の案内センターで電動自転車を借りて、潮岬に向かうことにした。向かいは大島だ。

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