ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(42)太地のペンション「ニーチェ」にチェックイン。

予定よりはかなり遅くなってペンション「ニーチェ」に到着した。

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2階の部屋には行かないで、早速食事にしてもらう。

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食べている途中で、イタリア人家族がやってきた。今晩はこの家族と自分だけのようだ。

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かなり飲んで部屋に案内されたが、随分と簡素な部屋だ。ペンションだからやむを得ないか・・。

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JR太地駅の前は1本の国道が走っているだけで、駅前の小広場の横には昔からあるような酒屋が1軒あるだけで、跡はなにもない全くの田舎駅だ。だが、駅舎は最近造られたような立派で見栄えの良い建物で、線路が高い場所を走り、ホームからは長い階段を降りて駅舎に来たが、ここも又過疎化の影響か、無人駅だ。駅に駅員もおらず、又駅前にコンビニもなく、地元の酒屋もシャッターが下りていて、今晩泊まる「ニーチェ」の場所を聞くこともできない。

 

予約の際に見た地図では駅から歩いては3-5分の国道に面していて、分かりやすい場所にあった。道路は国道の一本道だ。誰に聞かなくても分かるだろう。と、その駅前の道をどんどん歩いて行った。処が道路沿いにぽつぽつ民家はあるものの、相当な距離歩いても、中々ニーチェにはやって来ない。で、止む無くスマホを取り出し、地図検索すると、何と国道を逆方向に歩いていたのだ。これでは何ぼ歩いても行きつかない。直ぐにそのままニーチェに電話し、事情を話して、到着が更に遅れる旨を伝えた。

駅を出た時には外もまだ明るかったが、Uターンしてもう一度駅前広場に来た時には、既に夕闇が迫っていた。7時半にもなれば、幾ら南方のこの辺りでも外は暗くなる。線路のガードの下を潜って進むと、本当に3分ほどで宿に着いた。今は電機は消えているが、この辺りの銘菓「那智黒」の本社兼工場の隣だ。部屋は2階で、階段を上って部屋まで行って又戻るのも面倒で、そのまま食事をすることにした。遅いチェックインを詫びたが、何とこの後からまだ客が来ると言う。

 

食事をしていたら、その家族がやってきた。珍しい、イタリア人家族だ。奥さんは日本人で、九州の出身で、学生の頃絵画の勉強でローマ北部の町に住み、そこでこの旦那さんと知り合い、日本にやって来て、今は和歌山市に住んでいるとのこと。ご主人はデザイナーとのことだ。九州の名前もご主人の名前もイタリア北部の町の名前も聞いたのだが、イタリア人相手に酒が進み、少しお酒を飲み過ぎて、名前は忘れてしまった。子供が二人いて、上の女の子が6歳、下の男の子が3歳と言っていた。自分の孫と同じ歳だ。奥さんと子供たちは先に2階の部屋に引き上げて行ったが、このイタリア人芸術家とは、その後何杯かグラスを重ねたが、いつまで飲んでいても宿の御主人に申し訳ない、ほどほどの頃合いで、お開きにした。気持ち良い夜だった。

 

翌朝、部屋の窓から裏の先に紀勢本線の線路が見える。

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昨日はマグロの刺し身だったが、今朝の朝食はサンマの開きだ。

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昨日のイタリア人家族は既にチェックアウトしていた。

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宿泊の記念に写真を1枚撮ってもらう。

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