ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(56)熊野速玉大社へ参拝。

那智勝浦駅。2階に改札口がある。この駅の直ぐ横に南海バスの営業所があり、7時半のバスで新宮へ向かう。

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新宮駅の手前に熊野速玉大社がある。

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深い森に守られ、森厳だ。

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ここのお神酒は太平洋。飲んだことはないが・・。

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紀伊半島には火山の山は無いが、にも拘わらず温泉が多い。それはテレビか新聞かで読んだ内容だが、この半島は100万年以上前からの造山運動で、大噴火が起き、半島中央部に大きな台地が出来た。その後その周辺の新たな造山活動で、山が重なるようにして出来上がった。その古代の造山活動の名残として、半島の沿岸部には、幾つもの温泉が今でも湧き出ている、とのことのようだった。

 

昨夜は勝浦港からの帰り、突然の驟雨に襲われ、飛び込んだ駅前の土産店で那智黒の形よい原石を買ったが、その珍しい那智黒もそうした数万年も前の造山活動により生まれたものかも知れない。ダイヤモンドが算出される南アフリカとかザンビア等のアフリカ南部の地方で、火山活動がある山は知らないが、そのダイヤモンドも同じようなずっと昔の造山活動により生まれたものだろう。

 

温泉民宿との名前の通り、7-8人は一度に入れそうな大きな風呂は温泉で、夕食後間を置かずして温泉に入ったのだが、小人数の宿泊客(自分を含め3組の客)で、この時は一人で風呂を占領することができた。沸かし湯と温泉の区別はつかないが、温泉と言われてみればその通りだろう。予約の際のネットのHPには温泉とマグロの料理が自慢、と出ていたが、確かに昨夜のマグロは量は多かった。マグロの竜田揚げなどは、関東地方ではめったに食べることのない料理法で、大きな切り身がそのまま揚げられていて、圧巻だったが、自分にはマグロ=トロ、との固定観念が根強く、赤身部の刺身にしても揚げ物にしても、もう一つ頂けないが、この竜田揚げなどは南紀地方の昔からマグロの上がる地方の伝統食かも知れない。朝食にサンマの塩焼きが出されたのは、昨日のニーチェと同様だったが、この地方ではアジの開きの代わりにサンマを使っているようだ。昔は、こんな南の海域までサンマが下ってきたのだろうか・・。

 

さて今日は朝一番のバスで新宮に向かう。新宮の町中に熊野速玉大社が鎮座していて、今日はこの大社と、更に山奥にある熊野本宮を回り、山を越えて田辺まで出るのだ。速玉大社は新宮駅から少し離れた場所にあり、勝浦からの南海バスに乗って行けば、大社の前でバスは止まるとのこと。7時半のバスは熊野灘の海岸線沿いを走り、途中幾つかの小集落もあり、ほんの数人だが乗ってくる客もいる。今日は土曜日で、課外活動の高校生のようだ。途中に神武天皇上陸の碑の案内板がバスの窓から見えたが、最初に上陸したのは那智の浜辺ではなく、かなり山が海に迫った場所であり、湊にもなっていなかった。摂津和泉で最初に上陸しようと地点で、ナガスネ彦に邪魔をされ、紀伊半島も、こんな最南端の地まで下って来て、上陸点を捜したのか・・、大変な労苦があったに違いない。

 

速玉大社は後ろに深い森を背負った平地にあり、この社の後方には熊野川が流れている。以前はもっと川べりに近い場所に鎮座していたようだが、水害の被害で、この場所に移転したとのことである。那智大社同様に、色鮮やかな朱色の社が目を惹く。ここも又20年おきに朱の塗り替えを行っているのか・・。境内は森のような樹木が生い茂り、奥ゆかしい。熊野三山の一つ。どれが親で、どちらが子、ろいうような区別は無く、三山は皆対等に結び合っている。玉石の参道を進み、先ずは参拝する。

 

未来へ繋ぐ。コロナ禍だからこそ、猶更だ。

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早い時間で参詣者は数える程だ。

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速玉大社は、全国熊野社の総本宮だ。

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記念写真を撮っておく。

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