ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(70)紀伊田辺・白浜行きバス停にて。

  • 熊野古道はこの図にあるように5方向からやってくることが出来た。吉野の大峰山からの吉野奥駆け、高野山ルート、ポピュラーな田辺からの中辺路、等々。

    f:id:commodore:20211101191004j:plain

紀伊山地は神々の宿る、特別な土地なのだ。

f:id:commodore:20211101191055j:plain

 

さて、県道上のバス停にやってきた。この鉄板の簡易階段の下に渡瀬温泉がある。

f:id:commodore:20211101191154j:plain

 

県道は山の中腹を切り開いた所を通っていて、この渡瀬温泉郷からは少し斜面を登った上の方にある。昼飯を終え、次のバスが何時になるのか不明だが、兎も角バス停まで行って次のバスを待つことにする。最悪田辺行のバスが無ければ、新宮まで戻り、そこから電車で行っても良い。新宮からは1時間程度だろう。

歩行者用の鉄板を重ねた簡易階段を上って県道に出ると、バス停は道路の両側に2カ所あり、方向的には道路を渡った反対側が田辺方面だ。こちら側、賃宮へ向かうバス停には30代の母親と、幼稚園児位の二人の少女がバスを待っている。ご主人がいなくて、不憫に思った母親が、この温泉レジャー施設に連れてきたのか・・、母子三人で、流れる温泉を楽しんだに違いない。

新宮行のバスは間も無くやってきて、母子三人は行ってしまって、この県道は時々通り過ぎる車のタイヤ音が響く程度で、又、元の無人の静寂に戻った。次のバスまでには約1時間。幸いに屋根付きの待合ベンチがあって、休むことは出来る。次に来るバスは田辺を通り過ぎて、白浜空港が終点となっているが、飛行機発着の時間に合わせて運行されているのだろう。

バス停の少し先に「玄昉老師墓所跡」との案内板が出ている。はて、玄昉老師? 聞きなれない名前だが、こうして道路沿いに案内板が出ているという事は、昔の高僧の一人なのだろう。バスを待つ間、時間は十分あるのでパソコンで調べてみる。自分の知らなかったことがいろいろと出ている。天平時代の僧侶で遣唐使にも選ばれ、在唐は長期に及び、玄宗皇帝からは三品に準ずる紫の袈裟を頂いたとのことである。

帰国後、聖武天皇に使えるが、吉備真備と連携し栄達したが、藤原仲麻呂に排され、大宰府へ左遷され、そこの観世音寺で没したと出ていた。彼の行動の中でここ南紀熊野の記載はないが、死後不遇を恨んで身体が5つに分かれて筑紫から飛来して各所に落ちた、との伝承もあり、その2か所がここかも知れない。松本清張に玄昉を主人公とした小説「眩人」があるとの事だが、機会があれば読んでみたい。スマホを相手にいろいろ調べていたら、1時間も案外早目に過ぎて行った。

 

  • 道路の先が田辺方面と奈良、五条方面に分岐している。

    f:id:commodore:20211101191316j:plain

     

    実際、山深い土地だ。

    f:id:commodore:20211101191406j:plain


    バス停の近くに玄老師の墓の案内標識が見える。

    f:id:commodore:20211101191453j:plain


    時間があったので、どんなものか様子を見に行ったが、夏でマムシの危険もあり、奥に入るのは止めにした。バス停のベンチでスマホで調べていたら、1時間も直ぐに過ぎてしまった。

    f:id:commodore:20211101191538j:plain