ちゃおチャオブログ

日々の連続

秋の1日、深大寺(3)水生園から城址公園へ。

深大寺をお参りしてから、近くにある水生植物園に足を延ばす。

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お寺も門前も沢山の人で賑わっていたが、ここ水生園には殆ど人はいない。

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ホトトギスは今が丁度開花期だ。

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深大寺参道の少し先に水生園がある。ここは元々は深大寺寺領の一部で、お寺の北側にある神代植物公園と対になっていいた。現在都が管理する公園施設で、この2年間コロナ対策でずっと閉園が続いていた。広々とした植物園とか、訪ねる人稀な水生園をコロナ対策で閉じるという愚策を決めたのが小池都知事かと思うと、彼女の政策決定能力に疑問符を持たざるを得ない。

 

殆ど2年ぶりに水生園に入る。園の入り口の隣にある蕎麦屋は満員盛況の賑わいだが、食前食後、直ぐ隣にある園まで足を運ぶ人は少ない。夏が終わって、秋が過ぎ、これから冬に向かう園内には、見るべき水生植物が花を付けていないのはその通りだが、それにしても訪ねくる人がいない。稀に来る人がいても、園の入り口近くにある物見台から園をさっと見渡し、そのままUターンして、帰ってしまう。これでは花が可哀そうだ。

 

広さ1000坪ほどの園を歩く。稀に行き交う人もいるが、全部数えてみても10人はいない。あやめ、菖蒲、カキツバタが咲くころの5月―7月頃には、もっと沢山の人がやって来るが、それでも人で込み合うということはない。静かな水生園だ。園の一番奥に高い穂を付けた荻を見つけた。荻窪の荻。

 

この水生園の隣には少し盛り上がった台地がある。高さは精々30-40m、戦国時代の深大寺城址だ。戦国時代、この辺りは南の小田原から攻め上がって来た北条と、北の川越を根城とした上杉との攻防戦の最前線で、上杉方がこの場所に出城を築き、後、関東一円が北条に席巻されてから、この城は打ち捨てられたものだが、北条としてもこの場所にある出城は無用の長物で、関東が北条の支配下になってからは、廃城となっていた。

 

水生園奥の薄暗い藪の中の小道を上って行くと、城址本丸跡に出る。ここだけ更に3-4m程盛り上げられていて、砲台のようになっている。精々10坪もない.侍どもの戦いの跡は今は密な雑木に覆われている。その前を通り抜け、空堀に掛かる虎口の橋を渡ると芝生の広場に出る。今は城址公園として整備され、ベンチや樹木も植栽されている。広々とした大きな広場公園だ。元の一の丸。建物の柱の跡などがマークされている。広場の端の方には一反程のソバ畑が作られている。深大寺蕎麦組合の畑だ。

 

広場にも城址にも全く人がいない。不思議な空間だ。2mを越えるような背の高いパンパスグラスの横のベンチに腰掛け、自宅から持参したサンドイッチのお昼にした。秋の陽光を沢山浴びて、小鳥の鳴き声の代わりに遠方からポンポンと響くテニスの単調音を耳にし、ゆっくりと頂いた。快晴の秋の1日、元三大師の鬼大師を拝観し、七五三の和やかな家族を見、水生園を巡っての城址公園。良い1日だった。

 

ああ、荻。随分背が高くなっている。

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水生園の横の城址公園に向かった。ここも又殆ど無人の公園だ。贅沢な空間。

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公園内のパンパスグラス。

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この背の高いパンパスグラスの横のベンチで、秋日を浴びてお昼を摂った。

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