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日々の連続

紀の国訪問記(93)紀三井寺から和歌の浦を見ゆ。

紀三井寺の境内からは、正面に和歌の浦が見える。

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片男波と後方の雑賀岬。

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和歌の浦がお寺からこんな間近に見れるとは思わなかった。

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花山法皇もここから、同じ情景を見たに違いない。

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万葉の時代から和歌の歌枕にある和歌の浦紀三井寺からこんな近い場所にあったとは、このお寺の高台にある境内から眺めるまでは分からなかった。本当に指呼の間。目と鼻の先だ。和歌の浦がどれ程風光明媚な場所かは、万葉以来多くの文人歌人が愛でている。別名、片男波。細長く伸びた砂州に外海からの波が押し寄せ、砂州の内側は波静か。波は片方の側にしか立っていない。この寺が創建されて1250年。今見ている情景は、当時とそれ程変わらないだろう。ただ今日は波静かな海ではあるが・・。

 

今から1000年程前、藤原道長が権勢を誇った頃の天皇花山天皇がいるが、若くして出家し法皇になった。その出家の理由は定かでないが、寵愛していた后が懐妊中に急死したこともあり、法皇になってから熊野三山を参詣し、その後、西国三十三観音霊場を巡礼することなった。一度絶えていた観音霊場巡りは彼が復活したと言われ、観音霊場中興の祖とも言われている。

 

熊野権現霊場第一番青岸渡寺から大辺路の山坂を越えて、この霊場第二番紀三井寺に漸く到着した。今朝参拝した藤白神社の前を通り、神社にもお参りした筈だ。そこからは僅かに1時間程の距離。海はもう既に目の前だ。花山法皇がこの寺にやって来て詠んだ歌が残されている。「古里を はるばるここに 紀三井寺 花の都も 近くなるらん」。歌の良し悪しは別にしても、長い辺路を踏み越え、漸く京の都に近づいた情感が歌に込められている。

 

もう一人忘れてならない万葉歌人がいる。それは山部赤人で、後の西行同様に全国を行脚し、情景を歌にした。彼の和歌で「若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る」という万葉集にも掲載されている歌がある。彼がこの場所へ来た時代は、丁度紀三井寺の創建時期に当たり、彼がこの寺に参詣したのかどうかは自分には不明だが、今自分が立っている寺の境内からの眺めは、この歌の情景にぴったりだ。自分は矢張り、赤人はこの境内から和歌の浦を眺め、詠じたものと思いたい。

 

今回旅行の最後に紀三井寺にやってこれて良かった。

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下の道路から見えた白い建物は巨大な仏殿だった。

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中には巨大な千手観音菩薩が祀られていた。

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日本一大きな木造立像とのこと。

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