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日々の連続

日帰り信州紅葉狩り(10・終)長円寺ご本尊大日如来に参拝し、旅を終える。

長円寺境内は案外こじんまりとしている。奥に本堂が見える。左は鐘楼だ。

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  • 築200年の鐘楼門。鐘を撞いている人もいる。

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  • 鐘楼門前から参道を見る。

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  • 本堂内で法話が始まる。

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ご本尊は大日如来だ。

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長円寺参道の紅葉を眺めてから、本堂に上がり、住職の内儀の法話を聞くことになった。当長円寺は真言宗智山派で、本尊は大日如来であるが、別棟の薬師堂には元々は諏訪大社に奉納されていたものが、明治の廃仏毀釈で、この寺に移されたもので、檜の一木造りの像高91cm、鎌倉時代の作製と伝わり、日本三薬師と言われているとのことである。その関係で、中部四十九薬師霊場の札所にもなっているとのことである。確かに本堂の横、庫裏の入り口横には納経帳の窓口があった。

参道の突き当り、境内の入り口には小ぶりの鐘楼門があり、参詣客の何人かは門の上に登り鐘を撞く人もいて、自分も興味を持ったが階上に登るのが大変でそれは諦めた。200年程前の築と説明されたが、響きの良い鐘の音がそれ程広くない境内に鳴り渡っていた。その楼門の前には100体の観音石仏が奉納されていて、その100体は西国三十三観音、坂東三十三観音秩父三十三観音を灌頂しているとのことである。尚、この寺は武田信玄の陪臣穴山梅雪とは関係なく、信玄に追放された弟の武田備前守の甥武田慶尊法印が、諏訪藩主の庇護を受け、江戸初期の慶安年間に創建したとのことである。本堂で内儀の法話を聞き、境内の一隅にある薬師堂にお参りし、寺を後にした。

ここからは茅野の郊外を横切り一直線に中央高速に向かい、途中談合坂で一休みし、新宿にて無事ツアーは終了する。帰りの高速道はコロナ解禁直後の最初の休日で、大渋滞。人々は野山、紅葉狩り、ブドウ狩り、川遊び、等々一斉に飛び出したようだ。久し振りに見る高速道の大渋滞。以前は盆暮れ連休、等々伊豆の実家へ帰っていたが、その時の東名都夫良野トンネルの大渋滞を思い出す。懐かしい思い出だ。午後8時、バスを降り、朝食事した新宿駅地下街の朝の店の隣の店に入って夕食を摂る。早朝自宅を出て、この隣の食堂で朝食を取り、一直線に長野蓼科に向かい、御射鹿池、横谷、白樺湖、長円寺と紅葉狩りを満喫し、実に充実した1日だった。今年の旅のお仕舞。旅ブログのお終い。コロナ禍ではあったが、良い1年だった。
                             (終)

 

境内にある薬師堂。

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鎌倉時代彫塑の仏像で、日本三大薬師の一つと言われている。

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中部四十九薬師霊場第八番札所。

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山道横には100体の石仏、観音像が奉納されていた。

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コロナ解禁後最初の休日。中央高速は大渋滞だった。

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