ちゃおチャオブログ

日々の連続

1.2(日・晴れ)冬山遭難、助けられなかった一人の命。夜春日部より帰宅。

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仲の良かった筈の会社の同僚5人が、年末、兵庫・鳥取との境にある氷ノ山に1泊キャンプ旅行を計画した時点では、年末にこれ程の強烈な寒波が襲ってきて、日本各地に大雪を降らすなど想像もしていなかっただろうし、直前の天気予報で寒波襲来を聞いても、一旦動き出した計画を途中で中止する提案をする勇気もこの5人の中にはなかった。

それぞれが車で行き、どこかの旅館を予約している訳ではなかったので、中止したとしても誰も経済的に損することはなく、誰のどこにも迷惑は掛からない筈だったが、それでも皆が楽しみにしていた年末キャンプを取り止めにしよう、と言い出す人は出てこなかった。5人の内の誰がリーダーで、誰が会社内で上位の役職に付いているのかは知らないが、その上位役職者が「止めよう」と言わない限り、今回の冬山1泊登山は強行されるのだ。それに標高は1500m程の中低山。天気が不順でさえなければ3時間程度で登れる山だ。キャンプの中での楽しい飲み食いが悪天予報の心配よりも勝ったのだろう。

12月25日・日曜日。奈良・大阪在住の5人はそれぞれの車で県境にある氷ノ山に向かい、登山開始後、山頂近くでキャンプを行った。だが、天候はその日の夜から急変し、大雪に襲われた。裏日本、平地でも1mを越える大雪は、山中ではそれに数倍する降雪量があった。下山路は雪で埋もれてしまい、下山は難航した。1500mの山とは言え、こうなったら、2000mを越える高山と同じだ。5人は疲労困憊し、遭難寸前の状態に追い込まれた。冬山、雪山の恐ろしさだ。

新聞、テレビの報道がないので詳細は不明で、路に迷ったのか、難渋したのか不明だが、雪中で一夜を過ごした5人は、翌朝、この5人の中の最長齢66歳男性の衰弱が激しく、彼をその場に残し、4人だけが下山することにした。誰かの発案だったのか本人が申し出たのかは不明だが、冷たい人たちだ。衰弱の激しい66歳をその場に放置して下山すれば、彼も命運も尽きるだろう、とは誰しも分かることだ。元気な一人が下山して、救助を求めるとか、残りの三人が衰弱者に寄り添って元気づけるとか、最悪、3人は下山したとしても、元気な一人は最後まで付き添っていて欲しかった。長年、同じ会社で仕事をし、過去何回も同じような山登りをしてきた山仲間を見捨てて、自分達だけで下山した。東北大震災、大津波の「てんでんこ」は目前に迫る緊急事態の命の処し方を言ったもので、今回のような雪山での遭難とは状況が異なる。ただこの4人は「てんでんこ」で一人を残し下山した。姥捨て山に老婆を置き去りにして山を下るような有様だ。

 

翌日この4人は救助に向かった警察、消防の捜索隊により発見され、無事に救助された。疲労はあったものの、自力で歩ける殆ど健康体だった。捜索隊は当日も尚大雪に阻まれ、その先の捜索は困難で、上空のヘリコプターからの捜索に限られた。遭難から既に72時間が経過し、不明者を捜索するよりも二次災害を恐れたのかも知れない。

処がである。今日麓近くに駐車してある車をヘリが発見し、車内を確認した処、山中で身動きできなかった筈の66歳が車中で死んでいるのが発見された。何と、衰弱仕切った男性が自力で車まで戻り、車内に入り、車を動かそうとしたのだが、周りの大雪で車が動かず、そのまま衰弱死したことが判明した。

亡くなった本人も無念だったに違いない。本来、とうにやって来る筈の救助隊が来てくれず、最後の力を振り絞って、雪中の中4人の足跡を辿って、車の場所まで戻ったのだ! 残念でならない。救助隊が逆の方向に、4人の足跡を辿って遭難場所まで登って行けば、容易に66歳を発見し得た筈だが、それをしなかった。田舎の警察、消防にはレスキュー隊はいないとしても、県警本部にはエキスパートがいる筈だ。もしいなければ隣接県の富山、岐阜辺りから応援要請をすべきだった。プロにかかれば1日で救助できたかも知れない。遊びの中の事故とは言え、本来救われたかも知れない一人の命が失われてしまった。残念でならない。

 

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