ちゃおチャオブログ

日々の連続

函館の三日間(8)青函連絡船の思い出。

函館市内の幼稚園児が課外勉強でやってきた。

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皆可愛い盛りの児童達だ。

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こんな小さな子供でも魚の名前を良く知っていて、それぞれが言い当てていた。

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海鮮市場の前の海を見に行く。

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函館駅前朝市マーケットの前を小さな幼稚園児20-30人が、先生に引率され通って行く。子供らしくぺちゃくちゃ仲良くしゃべりながら歩き、皆水槽の前で立ち止まる。皆がそれぞれ泳いでいる魚を見ては、知っている名前を言い合っている。流石海に近い町で育った子供たち。魚の名前に関しては、並みの大人以上に知っている様だ。こんな小さい内から園で習ったのか、家庭でも日常的に魚料理が作られるのか・・、自分には分からないが、ピーチクパーチク可愛い盛りだ。自分にも同じ年頃の孫がいて、より一層、可愛さが募った。

 

この海鮮市場の前が海になっていて、今は就航されていない青函連絡船が係留されている。青函連絡船には嘗て一度も乗船したことはない。だが、この連絡船には深い思い出がある。新婚当初、業務で札幌支店に来て、札幌に5日間滞在し、その業務が終わった後の二日間休暇を取って妻と待ち合わせたのが、この青函連絡船の着岸埠頭だった。まだ新婚3か月で、妻とはこの機会を利用して、第2の北海道新婚旅行をしようとの計画だ。自分は北海道は遠いので飛行機で来るようにと言ったのだが、妻が青函連絡船にどうしても乗りたいとの希望があり、ここ函館港、連絡船の着岸埠頭で妻を出迎えることにした。自分は札幌でレンタカーを借りてこのここまで走らせ、妻や遅しと待っていた。

 

遠方の洋上に大きな船体が見え、船体を左右に揺らすように、滑るようにして埠頭に近づき、ガラガラと大きなアンカー音を辺りに響かせ、船は着岸した。当時はまだ東北新幹線が開通する前のことで、上野から寝台夜行を乗り継いで、青森港で連絡船に乗り、凡そ20時間以上を掛けてやってきた妻は、ほとほと疲れた感じの足取りで船を降り、埠頭から函館駅に直通している線路の横をよろめくようにやってきた。ほぼ1週間ぶりに見る妻に心底愛おしさを感じた。その時に乗って来たのは確か十和田丸で、船内の乗客を降ろした後、積んできた客車は順繰りに船内から吐きだされ、函館駅まで動いて行った。映画やテレビなどで見る映像がそこで展開していた。石川さゆりの「津軽海峡冬景色」がヒットしたのは、この少し後のことだった。

 

今前方の岸壁に連絡船「摩周湖」が係留されている。以前はあったそこから延びる駅までの線路は取り払われ、軌道敷は今はコンクリートの平地になっている。連絡船の事を知らない人が見たら、昔はここに線路があったことなど、全く思いも浮かばないだろう。駅も変われば埠頭も変わった。今からもう半世紀近く前の話で、愛おしい妻も黄泉に旅たち、既に3年経った。目の前の連絡船「摩周湖」に乗船しようか迷ったが止めておいた。

 

ああ、青函連絡船が係留されている。

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連絡船「摩周丸」だ。連絡船には懐かしい思い出がある。

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函館の海。半世紀前とは様変わりの埠頭だ。

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遠方に函館山も見える。

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